『怒りに対する処方箋』(マタイ5章20節〜26節) ( 2.18/2020 ) |
「しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません」。(22節) 序.山上の説教の続き。今朝は特に「怒る」(口語訳、新改訳2017)について。 1.人を値引きする罪 山上の説教の全体は「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(7:12)という黄金律に向かっている。パリサイ人に勝れる義。律法の核心を神は求めておられる。「罪人を招くために」来られたイエスの前に出ていきたい。 「殺人」とは「人を値引きすること」。「殺してはならない」の本当の意味は、「われわれに嫉妬、憎悪、怒り、復讐などを殺人の根として憎み、…ひそかなる殺人と教えておられる」(ハイデルベルグ信仰問答問106)。 ここでの「怒り」は忘れようとしない怒り。復讐は日常的に生じる。嫌な思いを相手に同じ様になってほしいと願う気持ち。それが当然だと断罪する事。そうなるまで気が済まないこと。それが続くと相手を見下して「能なし」と言う。更に「愚か者」(神に捨てられた不道徳者)という罵り、呪いが生じる。 しかし、人を値引きすることは人を創造された神を冒涜すること。 2.「怒り」の処方箋 恨みの原因は、「自分の期待通りにいかない」という悲しみ。甘えの裏返し。その根底は自己中心。「・・・あなたも私の期待に答えるためにこの世にいるのではない。もしも、われわれが、お互いの期待に答えることができたら、そりゃあすばらしいことだ、しかし、それができなかったとしても、我々が、よい友達であることに変わりはない」。こう思えると恨みが出てこない。自分も赦されている存在。 3. この命令はだれのためか? 憎しみ、呪いの言葉は自分自身を傷つけ、害する。神はカインを心配している。あなたが「怒り」を持つ苦しみから解放するために、イエスはあなたの憎しみを受けて十字架に架かられた。「これで相手を赦してやりなさい。ここであなたの憎しみを終わりにして自由になりなさい。そのために私は十字架にかかる」と。 おわりに. 積極的善を 「殺してはならない」とは、禁止ではく、積極的に愛することを教えている。主イエスに愛され、赦されたことがわかると、憎みたくなる人を愛する愛が生まれる。主イエスが心の内に住んで共にいてくださるから。 「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」。 (ローマ12:21) (説教者;田代美雪牧師) |
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