「勝利は献身のための第一歩」(ヨシュア8章35節) ( 3.23/2020 )
「モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアがイスラエルの全集会、および女と子どもたち、ならびに彼らの間に来る在留異国人の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。」(35節)

「カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」(7章9節)(われわれは滅ぼされる)これが罪を犯したイスラエルの民の心情でした。しかし、聖絶の物を除き、自らを聖別する道が示されたのです(7章13節)。悔い改めたあと、どのように生活すべきかがこの8章には記されています。

1.先のことを心配しないこと(マタイ6章33節)

聖絶の物を取ってしまったアカンには知らないことがありました。それは、すべてを与えるお方は神だということでした。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6章33節)神を待ちましょう。

2.神が支えてくださる

「主によって 人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は転んでも 倒れ伏すことはない。主が その人の腕をささえておられるからだ。」(詩篇37篇23節〜24節 新改訳2017 いのちのことば社)

3.神への信仰

アカンは身内です。しかし、アイの人々はじめカナンの人々は神が与えられた地を汚してしまい、聖絶される側にいる人たちでした。ヨシュアの戦術は何だったのでしょうか。「ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。」(26節)信仰の手を神に上げる、これで、戦ったのです。(出エジプト17章8節〜13節)

4.新しい一歩、それは献身

新約聖書には、「しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」(ヨハネ3章21節)「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2章20節)罪のために神のお役に立てなくなっていた者が、神のみわざに加えていただけるのです。神にあってなされたことを証しせずにおれないのです、というのです。

その生涯にあるのは、御子によって与えられた神との交わりです。聖書は救いのことを「贖い」と言います。「主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。」(詩篇130篇8節)罪ゆえに神を失っていた私共がサタンの手から贖いだされ、イエス・キリストの十字架のゆえに罪に死んで、神に仕えるのです。ヨシュア自身が申命記27章に従う姿を会衆に見せました(ヨシュア8章30節〜35節)。そしてモーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアがイスラエルの全集会、および女と子どもたち、ならびに彼らの間に来る在留異国人の前で読み上げなかったことばは、一つもなかったのです。

戦いはイエス・キリストが十字架の上で成し遂げてくださったのです。新しい一歩は「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ3章16節)「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119篇115節)「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ15章16節)神の主権に服して進みましょう。
(参考図書;横田武幸著『みことばとともに』日本イエス・キリスト教団福岡教会)

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