「戦略からの脱却」(ヨシュア9章4節) ( 3.29/2020 )
「彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、」(4節)

簡単に約束しないようにしましょうという趣旨の説教がよくなされているのがこの9章ですが、神の御前にギベオンにならないための道を考えてみましょう。ギベオンは決して小さく弱い国ではありませんでした(ヨシュア10章2節参照)。ギベオンが寝返ったことを聞いたとき、小さな国々に恐れが広がったほどの国でした。ギベオンが選んだ戦い方は神に守ってもらうというものでした(ヨシュア9章19節〜20節)。ギベオンは、

1.イスラエルが畏れるお方を知っていた

彼らはイスラエルが恐れているのは大国ではなく神であることを知っていました。それゆえに誓いを願い求めたのですが、その計略が偽りであったために、歴史上に恥を残します。

2.しもべとなることを受け入れた

彼らは全滅、すなわち死よりは、しもべとなる道を選択しました。

3.イスラエルにされる道を知らなかった

彼らは変装しました。すなわち、彼らは罪(サタンの所有物)への愛情を捨てていませんでした。罪への愛情は恐ろしい結果へと私共の人生を導きます。
「あなたがたが、わたしのすべてのおきてと、すべての定めとを守り、これを行うなら、わたしがあなたがたを住まわせようと導き入れるその地は、あなたがたを吐き出さない。
あなたがたは、わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国民の風習に従って歩んではならない。彼らはこれらすべてのことを行ったので、わたしは彼らをはなはだしくきらった。」(レビ20章22節〜23節)

死か、変装か、ヨシュア記が証言するユダヤ人か、それともクリスチャンか。四者から一つを選ばなければなりません。しかし、歴史が物語る良い点が一つあります。すなわち、大祭司ではなく主イエス様には人を救えたという点です。ラザロは死んで死臭を放っていましたが主イエス様によって救ってもらったのです。臭いにとどまらず、死から救われたのです。(ミソは、熱心や思い込みでなく、イエス様によってしか救えないという点です。)きよい、まことの神に向き合うなら、神は私共を見捨てないのです。

変装、すなわち仮面クリスチャン、すなわちサタンの奴隷であり続けるのはきついでしょう。かといって、当時の大祭司のようにイエス様を信じない人も、その視線が悪臭を放つでしょう。自分の臭さを香水のごとく感じている方には救いの喜びはわかりません。私共の罪のために十字架にかかってくださった主イエス様を、信じ救いを得ましょう。
「いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」(コロサイ2章14節)
   
罪を塗り消された恥じらい、大切ではないでしょうか。

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