「クリスチャン」(ヨシュア12章24節) ( 5.3/2020 )
「全部で31人の王である。」(24節)

ヨシュア書の構成は、1章から12章がカナン征服、13章から22章が分配と定住、23章、24章がヨシュアの告別説教と契約の更新です。

この12章においては
ヨルダンの東岸はシホン(アルノン川からヤボク川までを支配していた)と、オグ(ヨルダン川東岸のシホンの支配した地の北側を支配した)が支配していた地をルベン人とガド人とマナセの半部族に所有地として与えたこと(6節)が記されており、後半はヨルダン川西岸にて占領した地の31人にも及ぶ王たちが記されています。
その王たちが統治していた地名を追って行きますと、
エリコ(死海の北端から北北東15km)、アイ(エリコの西18km)、エルサレム(死海の北端から西に30km)、ヘブロン(エルサレムの南南西28km)、ヤルムテ(エルサレムの西北西23km、ラキシュ(ヘブロンの西23km)、エグロン(ラキシュの南西9km)、ゲゼル(ギブオンの西23km、ギブオンはエリコの西24km)、デビル(ヘブロンの西南西22km)、ゲデル?、ホルマ(ヘブロンの南南西30km)、アラド?、リブナ(エルサレムの西南西31km)、アドラム?、マケダ(リブナの東7km)、ベテル(ギブオンの北東9km)、タプアハ?、ヘフェル?、アフェク?、シャロン?、マドン(ガリラヤ湖西端から西へ8km)、ハツォル(ガリラヤ湖北端から北へ8km)、メロン(マドンの北21km)、アクシャフ(メロンの西28km)、タアナク?、メギド?、ケデシュ(メロンの北27km)、ヨクネアム?、ドル(マドンの西南西54km)、ギルガル(エリコの北東3km)、ティルツァ?。

1.王国の存在

31人の王が登場しています。また、「王ひとり」という記述からも推察できるように、すべての権力者を支配下に治めたのではないようです。しかし、31に及ぶ都市国家や小王国がここに名を連ねています。

2.戦いの理由

申命記7章24節には、神が王を渡されると約束されていましたが、同時に彼らの神々の彫像を火で焼かなければならない。あなたが銀や金を欲しがって罠に落ちないため、それを家に持ち込んであなたがたが聖絶のものとなってしまわないためという内容のことばが記されています。偶像を神は忌嫌われるのです。申命記12章1節から3節にもアシュラ像を火で焼き、神々の彫像を切り倒して、それらの名をその場所から消し去りなさいと命じられています。申命記4章34節には、「あえてご自身の民とされた神」とあります。これは神から発する事業です。神に対してへりくだって救いを求めてみませんか。

3.私たちにとっての王たちとは私たち自身

ヨルダン東岸においては二人の王を打って土地を占領し、西岸においては31人もの王と戦い、特に北部の戦いは長期戦であったと記録されています(ヨシュア11章18節)。人生において直面する問題は様々だと思いますが、「王ひとり」「王ひとり」という具合に尊い存在を前にして、私共には主イエス・キリストという救い主がおられて、(背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストともに生かしてくださいました。私たちの背きの罪を赦し、私たちに不利な様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。(コロサイ2章12節以降参照))このバプテスマによってキリストと共に葬られ、キリストと共に死から生かされ、キリスト共に捕虜とされている人、これがクリスチャンです。(さらしもの、捕虜、無理でしょう。嫌です。)と思われますか。人にはできないのです。しかし、神にはできるのです(マルコ10章27節)。ひとり、ひとり。神にはできるのです。偶像の手から奪い返してくださるのです。

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