「主が私と共にいてくだされば」(ヨシュア14章12節) ( 5.24/2020 )
「今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」(12節)

キリスト教会はジムではありません。すなわち、所属していても、努力しなければ生活も体形も変わらないというところではなく、病院のようにキリスト教会にはイエス・キリストがおられて、彼に救いを叫び求める者をイエス・キリストが救ってくださるそういう場所です。私共の力がどのように非力であってもそれは成果とは無関係です。主イエス様には救う力があるからです。
今日ヨシュア記14章に出てきましたユダ族のカレブは、「主が私と共にいてくだされば」と言いました。カレブの特徴は、

1.主は約束を守られると知っていた

「主は語られたとおりに私を生かしてくださいました。」(10節)。彼は45年間自分が生かされたことを通して主の御性格を証ししました。
   
2.敵が存在し、敵の力は強大であることを知っていた

主の約束の地にはアナク人が住んでいること、そして城壁のある大きな町々があることも知っていたのですが、それは主の力を証しする道具にすぎないと知っていました(12節)。

3. 主が共にいてくだされば勝てると知っていた
  
彼の確信は自分自身の力ではなく、主がいてくださること、すなわち主の力でした。彼は自分自身については「戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです」(11節)耐えうるだけで、追い払うことができるとするならそれは主が共にいてくださるなら可能だと告白しています。

自分の力の大きさによらず、敵の力の多寡強弱にもよらず、主が共にいてくださるかどうか、そのことだけをカレブは気にしていました。それが勝敗を分けると知っていたのです。自分の力と敵の力を比べることしか知らない人生を送ってこられたのでしたら、今日からは方向を変えて主が共にいてくださる場所に心を向けるべきではないでしょうか。

アナク人の地とは主が共にいてくださらなければ立ち入ることのできない地です。あなたにとってのアナク人とは誰でしょうか。
主が共にいてくだされば、あなたではなく、主が救いを与えてくださるのです。
主の救いを見たいならアナク人の地に行くしかないのです。変えることができない自分自身を見せられるところ、そして確実にイエス・キリストが私共の叫びを聞いてくださる場所、それがキリスト教会です。教会で主に出会ってから、主が共にいてくださるならば、家庭に、そして世の中にも出て行きましょう。

教会とは関係ない生活なので却下、という方にも心にとめていただきたいのですが、今日の問題はアナク人ではありません。主です。主と呼ばれる神は世を愛されました(ヨハネ3章16節)。主を求めてみませんか。カレブのように約束を握りましょう(へブル13章5節)。何の準備もいりません。ただ、主があなたと共にいてくださるなら、現実の中で主は憐み深いお方、救い主です。

TOP