「ダン族の戦い」(ヨシュア記19章47節) ( 7.12/2020 )
「ダン族の地域は彼らから失われたので、ダン族は上って行き、レシェムと戦った。彼らはそこを取り、剣の刃で討つと、これを占領してそこに住み、自分たちの先祖ダンの名にちなんでレシェムをダンと呼んだ。」(47節)

イスラエル12部族で、アモリ人に追われ北方の地に嗣業を求めた部族がいました。それがダン族です。世界的には普通の話かもしれませんが、ヨシュア記においてはダン族に与えられた人生は珍しく、目に見えて困難があり、つらい歩みを強いられたようです。

1.くじによる分割と敗北

ヨシュア記は2度のくじ引きが行われたことを証言しています。14章1節2節と、18章4節から10節です。この2回目の分割は、3回も「その地を行き巡り」や「地を巡り」(18章4節、8節、9節)と記されていますので十分な調査がなされた結果でした。しかし、予期しない敗北が彼らを襲ったのです。

2.聖書から探しうる原因

ダン族を追い払ったアモリ人とはカナン先住民の中でも代表的な民族でした。何において代表的なのかと言いますと、「悪」という点において象徴的な存在として語られています。すなわち、創世記15章16節に「アモリ人の咎」という記述があります。そして出エジプト記34章11節には、神がアモリ人を追い払うと語られています。しかし、神はアモリ人でなくダンを追い払われたのです。その理由は、恐らくダン族を偶像礼拝から守るためであったと思います。

3.地域を失うダン

ダン族はアモリ人に追われました。彼らは財産も職も失ったのです。神を恨んだかもしれません。しかし神は偶像礼拝をする社会に溶け込むことから彼らを免れさせました。そして彼らは北方にではありますが住むことのできる地も得ました。戦いに敗れて追われた民ですが、それには代えがたいものを受けました。すなわち偶像にではなくて、生きておられる神に仕える民族として存続しました。

ダン族は滅びませんでした。彼らは上って行ったからです。ゆえに、地が失われることは敗北ではないのです。主イエス様と出会うときです。主イエス様は暗い道も知っておられるお方です。すなわち十字架と恥と罵声と無関心です。もし近しい友を必要としておられるなら「主イエス様っ」と祈ってみませんか。なぜなら主イエス様は痛みを知っておられ、死にさえも打ち勝って、今も人々を救い続けておられるからです。
ヨシュア記2章にはひとりのかよわい女性がでてきます。彼女は赤い紐一本で、過去のすべてから救われる時が来ました。主イエス様の十字架にも私共の過去を変える力があるのです。彼がひとり、われらの苦しみを担われたからです。「主イエスは、私たちの背きの罪ゆえに死に渡され」(ローマ4章25節)。復活の主イエス様は今も罪をまともに受けて立っておられます。神の目はそこに注がれています。人々がどのように強い存在としてあなたの目に映っていても、人々がどのように見ていてもあなたは神に愛されているのです。たとい、大切なものを失っても。神の愛の印、契約は存在しそれが主イエス様なのです。ダンは契約の箱でヨルダン川がせき止められたことを知っていました。私共にも神を礼拝できる人生(罪にあらがう人生)への導き手、主イエス様が必要ではないでしょうか。

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