「のがれの町」(ヨシュア記20章3節) ( 7.26/2020 )
「意図せずに誤って人を殺してしまった殺人者が、そこに逃げ込むためである。血の復讐をする者から逃れる場所とせよ。」(3節)

のがれの町とは、故意にではなく人を殺してしまった人が裁判を受けるまでかくまわれる町です。それは、血の報復者から殺害者を守ろうとご計画された神のご命令でした。

1.血の報復者から守られる神
人は自分の愛する者が傷つくことに耐えられません。同様に神は、もし、故意の犯罪でないのなら守ろうと町と人を備えてくださいました。

2.のがれの町を出されてからも
故殺人は殺されました。しかし、誤って人を殺してしまった場合は裁判を受けるまでの短い時間でも、安全な住まいを神は与えてくださいました。裁判が終わり、もし、憎んでいたのでないのなら(5節)町を出ることになりました。世間の冷たい目にさらされることになっても、神だけは「憎んでいたのではない」ことをご存じであり、彼のために生きておられ彼を知ってくださっているのです。

3.大祭司という存在
大祭司は神の御前に民を代表する存在でした。そのため大祭司が死ぬと神の御前に問題が解決したものと見なされたのです。人の社会では未解決だということがあるかもしれません。しかし、聖書は神の御前に生きている存在として私共を描いています。大祭司がいることは神がおられることを覚える印なのです。

神は生きることを望んでくださるお方です。たとい短い時間でも守られること、これが神の御意志です。神がおられますから、そして殺人事件のために町まで備えてくださる神ですから、さまざまな苦しみに遭うことき、神に助けを求めて祈りましょう。
神は生きておられるのでしょうか。神のみこころをどうやって知るのでしょうか。神に立ち返ろうと思われたときは最寄りのキリスト教会に行って、聖書を読んで、礼拝と祈祷会に出席してください。生きておられる神に従うために祈る生活を過ごしましょう。つらいことは起こると思いますが、生涯、神の御旨にお従いして歩みましょう。神の御旨は聖書にあります。聖書のみことばこそ、永遠の命を下さる主イエス様ですから(ヨハネ5章38節、39節)。

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して決して渇くことがありません。しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そしてわたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。私が天から下ってきたのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。』」(ヨハネ6章35節〜39節)。

命をつぐなう力は許されていません。しかし、命を与えるお方に従い始める悔い改めは許されているのです。

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