「渡って来なさい」(ヨシュア22章19節) ( 8.9/2020 ) |
「もしもあなたがたの所有地がきよくないのなら、主の幕屋の立つ主の所有地に渡って来て、私たちの間に所有地を得なさい。私たちの神、主の祭壇のほかに、自分たちのために祭壇を築いて、主に反逆してはならない。また私たちに反逆してはならない。」(19節) 人は、死んだら骨壺(40センチくらい)の中に収められます。現代の地上の嗣業は骨壺です。すなわち、本物の嗣業は土地ではありません。主イエス様にどれだけお従いしたかです。しかしルベンとガド、マナセの半部族は嗣業の地を得た直後に自分たちの祭壇を築いてしまいます。日本人の私共にはわかりづらいことですが、聖書の記述によれば、すなわち16節、18節、19節によれば、これは主に反逆することでした。そこでピネハスはじめ10部族の族長たちは行動を起こすのです。正当な理由は考えてあったようですが、嗣業の地が与えられた後、ルベン、ガド、マナセの半部族は試みにあっていたのだと思います。その試みとは、 1.ペオルの不義(17節) ルベン、ガド、マナセの半部族の置かれた状況を知っていた10部族の族長たちが心配したのはペオルと同じ失敗を繰り返すのではないかということでした。このことは民数記25章に記されていて、この偶像礼拝事件で24000人の人々が亡くなりました。 2.アカンの罪(20節) ヨシュア記6章19節に、主の宝物蔵に携えて行くことが定められているものについて、アカンが罪を犯し、7章のアイとの戦いにおいて36人が打ち殺されてしまうことになりました。今回は22章8節に「あなたがたは多くの財、つまり、非常に多くの家畜と銀、金、青銅、鉄、たくさんの衣装を持って天幕に帰りなさい。敵からの分捕り物はあなたがたの兄弟たちと分け合いなさい。」という命令に従うことにおいて困難を予測して、罪を犯すことのないように、別に祭壇を築いて独自に偶像を作り罪に至ることのないように出向いて来たのだと思います。 3.私たちの間に所有地を得なさい(19節) 「主の祭壇のほかに自分たちのために祭壇を築いて、主に反逆してはならない。私たちに反逆してはならない。」(19節)この「私たちに反逆してはならない」、この言葉が人間の一番の弱点だと思います。既に、シロの主の祭壇からヨルダン川を隔ててしまっているのですから、彼らは外様なのです。約束の地に入る前に嗣業の地を求めたのですから、その時点で主たる任務に就くことを諦めたはずです。そして信仰を守れないのならヨルダン川の西側に帰るべきだという忠告も受けたのです(19節)。しかし、独自の祭壇を求めてしまったのです。 本当の審判とは地上の嗣業を得る時ではありません。主イエス様は言われました。「わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。」(ヨハネ12章48節)シメオンのように、ユダのネゲブに嗣業を得ても良かったのではないでしょうか。彼らが固執した嗣業の地も後に、自分たちの王ソロモンによって12の地域に再区分され守護が置かれ境界線は断ち切られ族長支配は弱められます(1列王4章7節)。「ただし、あなたがたの所有地が汚れているのなら」(19節)どこも主に対する不従順で満ちていて行き場がありませんという場合、それぞれが所属している教会が主に従う群となれるように、祈りましょう。 |
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