「イエスに聞く」(マルコ8章31節〜9章8節) ( 2.27/2011 )
『すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」(マルコ9章7節)』   

福音書は4つあります。そのうち3つは、イエスの誕生や復活等そして順序に大きな違いはあっても、伝えようとしている内容に類似点がありますので、共観福音書と呼ばれています。けれどもヨハネによる福音書だけはイエス自身を神と同等として語らせている点で、大きく他の福音書と異なっていますので共観福音書には数えられていません。

聖書記者たちは、各々のキリスト共同体や権力者に対し、それぞれメッセージをもってわかり易く福音書を記したと思います。すなわち福音書には、現在のこの教会のためにも必要なメッセージが記されていると考えることが出来るのではないでしょうか?

福音書が記された理由の大きなもの、その核心といえる部分がこの変貌山の記事であると思われます。すなわち、それぞれが自分の十字架を負って従うべきことを語られたイエスに対して、神から「これは私の愛する子。これに聞け。」との声がかけられたのです。

神がそれぞれに与えられる人生は異なっていて、(自分にばかり十字架がある)と悩まれることもあるのではないかと思います。(平等でない)とか、不満に思うこともあると思うのです。イエスの足跡には多くの苦難がありました。そして福音書を著した弟子たちが知ったことは、苦難を受け止め、また受け止めて従って来ることを勧めたイエスは、神のみこころを知る人であった、ということではないでしょうか。

「イエスに聞く」ことの対局にあるのは何でしょうか?それは組織や個人のためにイエスに聞くことです。イエスの言葉を借りて組織に力や秩序を与えようとすることです。私たちはそうではなく、イエスの行動に注目し本当の意味でイエスに聞く(従う)ことを追い求めて参りましょう。イエスが言われた十字架とは何なのか、悩んでいてはいけないのか、など、イエスの元に集まる人々やイエスと人々の対話から、神の御手の中に身を置いて生きること、すなわち「イエスに聞く(声という意味でなく)」を学ばせて頂きましょう。

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