『幸いな人』(詩編1編) ( 8.16/2020 )
「時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。」(3節)

序. 未曽有の禍に加えて危機に感じるほどの猛暑の日々。心身共に疲れ果てないための栄養を霊に蓄えたい。

1. 幸いな人―何を友とするか

人の心はその人が何と関わるかによって形作られる。若い時には友人が自己の形成に影響する。自分が模倣する対象に気をつけなければならない。また、成人しても罪の誘惑はある。神の言葉である聖書は、悪を避ける幸いを教えている。誘惑を受けることは罪ではないが、火の粉のよう。それを甘やかすと火傷になり、大火になる。罪は一つでは終わらない。ダビデ王は他人の妻の裸に興奮した。その時、その誘惑の火の粉を消さなかったために、強姦の罪、不倫による妊娠を偽る罪、殺人の罪に至った。罪は人を渦に引きずり込み、そこに座らせる、または正当化の大手を振るう錯覚に陥らせる力がある。
私達は日々、何と関わりを持っているか?「悪者」とは「神を敬うことを主義としない人」のこと。信仰者もそのような環境に囲まれている。SNS、ネットショッピング、動画配信、お笑い、ゲーム・・・。今は「癒し」を求める時代。皆、疲れている。しかし、安易な「疲れない程度」の「癒し」に心が占められ、それが「もみがら」だとするなら、それも真の癒し主、流れのほとりである主から遠ざける危険に。
「聖書はあなたから罪を離す。そうでなければ、罪があなたから聖書を離す」。

2.主の言葉に深まる幸い

「幸い」とは「直く歩む」こと。人は神に向かう存在。心が神から他の物に方
向がずれると「的外れ」な生き方になる。神の約束の言葉を、日々にいただき
上手く行く時も、物事が上手く行かない時も、信頼してそこに留まる人は、風雪にも、干ばつにも耐える根を持ち、いつも神に対する信頼に葉は茂り、時至るならば、必ず実を結ぶ。
「植える」とは移植。もとは、神の水路から遠く離れていた者。しかし神が作られた灌漑水路の傍らに植え代えてくださった木。そこに神の栄光を現す神の期待がある。空しい壊れた水がめに頼る者はいつか水がめに裏切られる。

3. 主は正しい者を見分け、その様子を知られる。主との関係の正しくない者の道はいつか消え失せる。あなたの末路を考えよ。

砂漠の中の川が途中で水が吸収され、途絶える川がある。神との関係が正しくない者の末路はその様。しかも、彼は「自分の終わりのことを思ってもみなかった。」(イザヤ47:7)。神との関係が正しくされた者はやがての日に実を結び、その実は残る。英国のジョン・ニュートンは、かつて神を信じる者を嘲笑し、神を冒涜していたが改心し、牧師となり、かつての奴隷船船長の時代のことを暴露し、ウィルバーフォースが奴隷制度廃止法案を成立させる事を助けた。実に半世紀近くの戦いを経て、ウィルバーフォースの死の一か月後それは制定された。反対派の有力者達は次々と力を失い、そのかつての猛威を心に留める人もいない。「悪者の道は滅びうせる。」「主は正しい者の道を知っておられる」。

おわりに. 神との交わりに深く根を下ろし、上に葉が茂り実を残す生涯を
やがての日を思い、神との交わりのもと、日々を歩ませていただこう。

(説教;田代美雪牧師)

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