『罪のゆるしの福音』(詩編32編) ( 9.21/2020 )
「幸いなことよ。
主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」(2節)

序. 本日は滝尾で宣教が開始され16周年を迎える記念の礼拝です。神さまがこの16年を守り導いてくださったことを感謝し、また新しい思いをもって宣教に励みたい。
「福音」とは「罪のゆるしの福音」(使徒13:38(口語))。この喜びの音(おとずれ)(ルカ2:10(文語))を伝えたい。

1. 罪赦される幸い

詩編1編と同じく「幸いなことよ!」で始まる至高の喜びの詩編。あれほどの大罪を犯したダビデが「ああ!私は幸せだ!」と言える秘訣、それは罪以上に神の赦しが大きいことを知ったから。「罪の増し加わるところには恵みも満ちあふれました」(ロマ5:20)。ここに「そむき」(神への反逆)、「罪」(神の道から外れる的外れ)、「咎」(不義、不道徳)と罪の三種類が挙げられる。多くの人は「人に迷惑をかける」ことを悪と教え、人の前に正しくあるよう教える。しかし、罪とは神との関係。神の前にどうであるか。「義人はいない。ひとりもいない・・・」(ロマ3:10)。「人は救い主キリストを好まない」(『救霊の動力』)。それが罪の本体。そこから罪は始まる。
罪を抱える者の苦しみ(3,4節)。表面で隠しても、良心がうめく。力が枯れる。
「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。」(Uコリ13:8(口語))

罪を認めた時、瞬時に赦され、救いは来る(5節)。「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」(ロマ10:9) 犯した行為を言い表すのは懺悔。十字架を仰ぎ罪の赦しをいただいた時、方向転換して、神に義とされ新しくされた者として歩む、これが悔い改め。

罪の赦しの三種類。「赦され」(御怒りが解かれる)、「おおわれ」(恥を隠してくださる)、「咎をお認めにならない」(刑の判決が免れ、無罪放免となる、罪を一度も犯さなかった者、として見てくださる。)

2.罪赦された者の幸い

罪赦された者の祝福が後半に豊かに喜び歌われる。
完全な守り(67節)。大水の濁流。すべてを流し去るノアの時代の審判。神の
裁きから守られる人は人からも悪魔からの責めからも守られる。十字架の印に
よって。
目が明るくなる(8,9節)。御言葉が分かり、上からのきよい知恵に満たされる。「くつわ」=痛み、を加えなければ従えない、というやり方ではなく。

まとめ(10,11節)。「悪者」(神を畏れない者)と「正しい者」との比較。詩編のテーマ。

おわりに. 変動の時代に不動の土台をもって

今は終りの近い時代。変動の時代。大水からも守られる「罪の赦し」という不動の土台に足をつけ、この喜びをこの身をもって伝えたい。これこそが「福音」だから。

「もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。」(Tヨハネ1:7-10)

(説教者;田代美雪牧師)

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