「階段は八段」(エゼキエル書40章37節) ( 9.27/2020 )
「その玄関の間は外庭に面し、両側の壁柱には、なつめ椰子の木が彫刻してあった。階段は八段であった。」(37節)

エゼキエル書の概要

召命(1章〜3章)
エルサレムへの預言(4章〜24章)
 4章〜5章 破滅を伝えるための行為
 6章〜7章 終わりについて
 8章〜11章 エルサレムの行為
 12章〜17章 比喩
 18章 個人の責任
 19章〜20章44節 反抗
 20章45節〜21章 剣が来る
 22章〜24章 エルサレムの崩壊
諸外国への預言(25章〜32章)
将来に向かって(33章〜39章)
 33章1節〜20節 預言者の役割
 33章21節〜33節 エルサレム陥落
 34章 支配者たちの罪
 35章 エドムについて
 36章 回復
 37章 枯れた骨へ
 38章〜39章 ゴグへ
新しい神殿(40章〜48章)
 40章〜42章 建物に関する計画
 43章1節〜12節 神殿における神の栄光
 43章13節〜44章 神殿と祭司職についての規則
 45章〜46章 相続地、君主、祭の規則
 47章1節〜12節 神殿から流れる水
 47章13節〜48章 各部族そして寄留者への相続地

キュビトは2種類あります。すなわち、短いキュビトとこのエゼキエルが使っている長いキュビトで、長いキュビトは一手幅分(7.4p)長くなっています。ゆえに、エゼキエル書の1キュビトは44p+7.4p=51.4p、6キュビトは308.4p、一竿です。
まず、この40章は1節に捕囚となって25年目という記述があります。12年目にエルサレムが占領された(BC586年)と33章21節にありますから、39章までの預言から13年くらいの時の隔たりがあります。この幻を見せられるまでの期間に捕囚の民が神から提示された課題は恐らく罪の問題でした。13年間の沈黙ののちに14年目に示された神殿の構造が40章の内容です。神がイスラエルを見、彼らに示されたものとは、

1.階段の存在(22節、31節、34節、37節)
神殿の門の外側から7段の階段があり、神殿の門の長さが50キュビト、すなわち、25.7mありました。その脇には控室が両側に3部屋ずつあり一竿(約3m)四方の大きさであったそうです。そして門を抜けると外庭、そして、100キュビトすなわち51.4m先の聖所には8段の階段があって、その階段を上ったところにもう一つの門(長さ25.7m)があり、そこに内庭がありました。さらに、聖所に上るためには階段がありました。
神は聖なるお方であることを表していると思われます。

2.台所の存在(39節)
罪のきよめのささげものを屠るための台所が門の玄関の間の両側にありました。民は自らの罪深さを知るだけでなく、その罪を代償のささげものを携え、その命をもってきよめをする必要がありました。

3.安息を与えられるとき、滅びから命へ
へブル人への手紙には「ささげ物といけにえがささげられますが、それらは礼拝する人の良心を完全にすることができません。」(へブル9章9節)「キリストはただ一度だけ、世々の終わりにご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。…人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも多くの罪を負うために一度ご自分をささげ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望む人々の救いのために現れてくださいます。」(へブル9章26節〜28節)とあります。

すなわち、神殿は神が聖であることと、わたくしたちの罪の存在を示しています。それは、神の信頼を裏切る愚かさと神様の聖が理解できない民のために神が安息を与えられるときに初めて、彼らは理解できるのです(エゼキエル39章23節〜29節参照)。ポイントは私共は安息を与えられる側であるということです。

神が安息を与えてくださる時とはいつでしょうか。へブル9章28節すなわち、主イエス様の再臨の時ですというのが正解でしょう。しかし、すでに、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節)と滅びから永遠のいのちへの道が明らかにされています。それは滅びから始まるのです。すなわち、神を否定し拒絶し無視し、愛さない醜さを認めるとき、神様が主イエス様によってすくい上げてくださるのです。金魚すくいのように。(そんな網、あるか!)と言われますか。あるのです。「雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。」(へブル9章12節)

祈り 俗なるものであることを認めます。あなたの救いを信じ待ち望み、安息しあなたの聖を知ります。

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