「悪魔の策略は」(エペソ6章11節) ( 11.1/2020 ) |
「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身につけなさい。」(11節) 日本の社会においては、悪魔が存在するということが話題に上ることはめったにないと思います。しかし、日常生活において、私共が親を敬っているか、子どもたちを怒らせず、主の教育と訓戒によって育てているか、真心から地上の主人に従っているか、喜んで仕えているかと問われるなら、神以外のものに従い生きてしまっていることに気づくのです。あなたは武具があることを信じますか。武具で人生は変わるのです。 悪魔の策略は、 1.すでに実行済み この4章を読んで気づかされることは、悪魔の策略は既に実行済みであるということです。それが顕著にわかる箇所は18節にすべての武具の最後に祈りがあげられますが、日本においては悪魔は神の存在自体を奪っており、私共が造り主であり、生きておられる神に祈りをささげることができないようにしています。すなわち、悪魔は私共の心のうちに既に陣取っているのです。 2.私共の生活に溶け込む悪魔の策略 真理の反対の偽り、正義の反対の悪、平和の反対の抗争、信仰の反対の不信仰、神のことばの反対の世の楽しみ、御霊の反対の罪と祈ることのない、神を認めない生活。そして忍耐のない人生。 3.悪魔の策略は、こぼたれる 神の武具を「身につけなさい」というのが対処法です。洋服も気に入ったものを身に着けるのですが、身に着けるべき洋服とまず出会ってみましょう。 それは、真理、正義、平和、信仰、救い、御霊、神のことば、そして祈りです。 そして、それらを身に着けることは必ず益となります。なぜなら、「主は天におられ、主は人を差別なさらないことを知っているから」です(9節)。8節にも、「良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っている。」既に、正義を行うものを神が祝福することについては知らせてあると言っています。 そして最後に神のその豊かさを教えています。「信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。」(23節)と。 誰を求めて生きているのか考えさせられるのです。すなわち、悪魔の顔を知っているか、それとも、主の御顔(平安と愛)を知っているかです。まず私共が偽りや悪や抗争や不信仰や世の楽しみ、そして忍耐がないことなどの罪を悪霊に知られるくらいにきちんと悔い改めましょう。聖霊という神はきよいお方ですから。武具で悪魔に勝てるなんて、是非、信じてください。 今は傷つき、どんなに傷が痛んでいても、次回はきちんと武具を付けて用心深く歩みましょう。 |
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