「神との契約」(創世記15章1〜21節) ( 3.11/2011 )
「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。」18節

1.アブラムの悲しみ(1〜6節)

アブラムは神からの祝福の言葉・土地相続権の授与を聞いても(1節)、子どもがなければそれを嗣がせる事ができないではないですか、と苦言を呈するアブラムに、神は星のように子孫を与えると約束されます。子は人間の計画では得られないものです。アブラムはまさか自分に子供が出来るとは想像もできませんでした。しかし、宇宙を創造した神の業、満点の星々を仰ぎ見て、何が起こるか判断できませんでしたが、神を信じます。神の前に義とされる生涯は信仰から始まったのです。アブラムの義は子が与えられる前に神から受けた称号でした。子がなくて悲しむサライのためにも神の義は現実の形を取ると予言しているようです。

2.神との契約(7〜21節)

これは後の人々がエジプトで400年間奴隷として過ごすことになる歴史を受け入れる為の契約なのでしょうか?18〜21節は当時カナンの地に住んでいた先住民のリストであり、寄留者であったアブラムには夢のような契約でした。人間だけでは艱難を受けると挫けてしまいますが、背後にいる神は絶対に見捨てない、それを人々はアブラムを通して信じ受け取ったのです。アブラムにとって神は超越した存在ですが、一方でご自分の民を決して忘れない慈愛の神、人類を導く希望の星なのです。

3.新約時代における土地の所有について

紀元前597年、バビロンのネブカドネザル王によりユダヤの人々はエホヤキム王と共に土地も神殿も失い(586年)、バビロンに連行されて神の約束を真剣に見つめ直しました。538年エルサレムに帰還。この人々によって律法が見直されパリサイ人が生まれます。紀元前284年ギリシャ語聖書ができ、前167年マカバイ戦争、前63年ローマ軍によるエルサレム占領、さらにユダヤ戦役(紀元70年)以降、再び土地を失います。神はイエスを通し土地の所有や神殿建設よりもユダヤ民族の自律は魂の尊厳にあることを教えています。ステパノ(ステファノ)の説教(使徒行伝7章48〜51節、列王上8章27節、イザヤ66章等)からも、神はご自分の民・全人類に預言者が待望したイエスを通し、もはや嗣業の土地でなく人類の尊厳・救い・生きる喜びを与えているのです。

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