「王たちの死体」(エゼキエル書43章9節) ( 1.24/2021 )
「今、彼らにその淫行や王たちの死体を、わたしから遠ざけさせなければならない。そのとき、わたしは永遠に彼らの中に住む。」(9節)

神はすべてを明るみに出し裁かれるお方です。しかし、同時に恥じて口をつぐんでしまうほどの完全な赦しを与えてくださるお方です(エゼキエル書16章62節)。

このエゼキエル書43章には、7節と9節に高きところの王たちが登場しています。しかし、この王たちは死体なのです。凄いと思いませんか。私共の人生を狂わせる力の主が死体となっているというのです。こんなことが実現すれば家庭は愛に満ちるでしょう。

一体、この43章は何が起こっているのでしょうか。それは、神の栄光が神の宮に帰ってきているのです。私共の人生に神の栄光が帰ってくる、そんなことが起こりうるのでしょうか。

ある映画で、難病に侵されている少女がいました。しかしこの少女には生きておられる神への信仰がありました。そして、病室が一緒だった隣のベッドの女の子にこのように聞かれるのです。「わたしにもイエス様は一緒にいてくれるかしら。」そのとき、この主人公の少女はこのように答えるのです。「もちろんだよ。」神を信じない家庭に育った女の子に対して、(あなたにもイエス様は一緒にいてくださる)と堂々と答えたのです。

この映画の最後の場面で、この出来事の結末が明らかになります。「もちろんだよ」という一言で主イエス様が一緒にいてくださることを知った女の子は、この時以来、がんに侵されながらも平安を得ることができて地上の生涯を終えたということでした。すなわち、死の恐れと痛みに打ち勝ったのです。正確には、よみがえられた主イエス様が共にいてくださって、ご自身が得てくださった勝利をこの女の子にも与えてくださったのです。

私共の生涯にも、神に反逆し私共の魂を支配する王に勝利してくださる主イエス様が必要ではないでしょうか。そして、もし既に主イエス様の勝利を体験し知っておられるならば、「もちろんだよ」というたった六つの言葉で伝道すべきではないでしょうか。

勝利者はご自身の血を流してくださった主イエス様だけです。私共にできることは、このお方の愛を受け取るだけです。祭壇の高さは4+4+2で10キュビト、祭壇の上面の形は長さ、幅共に12キュビトの正方形、台座の底面は長さ幅共に14キュビトの正方形です。ほとんど立方体の巨大な石の祭壇でした。これは、「神の威光が天に顕れて地に下る、〜地面はこれを支えるに耐える力がない位に、圧倒的な栄光が上から臨んでいる。」とある註解者は説明してくれています。ただ主イエス様を信じて、生ける神の力に与りましょう。必ず、恐怖の王は死に渡されます。「世に勝つものとはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(1ヨハネ5章5節)イエス様、わたくしはあなたの(もちろんだよ)に感謝します。
(参考図書;矢内原忠雄著『エゼキエル書』株式会社 新地書房 597頁)

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