『主にふさわしいものに』(コロサイ3章18節〜25節) ( 1.31/2021 )
今朝の聖書の個所は、皆さんはさらっと読み流してしまったかもしれませんが、実は神様が埋めた地雷のようなもの、あるいは時限爆弾のようなものであるかもしれません。恋人同士や結婚を前にしている人々にはショックを与えるかも知れません。結婚に大きな責任が伴うなんて、そんなに大変なものなら、もう結婚を止めよう、交際もやめようと思うかもしれません。もしも諦めることが出来たら、不幸にならない人が増えることになります。それは聖書の結婚に感動して、幸福な人になれるからです。結婚している人々には、自分たちの結婚は間違っていたと思われるかもしれませんが、聖書の結婚観に戻れる人は幸せな自分に戻れるかもしれません。決して離婚を勧めているわけではありませんので、早まらないでください。話は最後までお聞きになってから決断するのも決して遅くはないことを申し添えておきますが。
また、本日の聖書の個所をお読みになってこれは素晴らしいと思い、これに従う人は神様から祝福され、幸いな結婚人生を送れることを保証するものです。

1、幸いな結婚生活とは

聖書が勧めているのは、コロサイ3:18 「妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである」ということです。

(1)結婚生活にだんだんと不満がたまってくる人もいるようです。

(2)結婚式の時に必ずと言っていいほど読まれるエペソ人への手紙を読むことにしましょう。

エペソ人への手紙5:22(新約306)「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。23節キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。24節、そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである」。

「仕える」という言葉が4回も使われています。その意味は、もっとも厳しいもので、卒倒してしまいそうなものです。なぜかといえば、奴隷が持ち主である主人に従う、服従するという言葉が使われているからです。その服従は絶対であるのです。

なんで聖書は「夫に従え」というのかと不満を持っている女性、妻もいるでしょう。地球が太陽の周りをまわっているように変わらないなんて嫌。太陽が地球の周りをまわってもいいじゃないかと思う人もいるでしょう。聖書、聖書で気に入らないわと。でも、変えることが出来ない聖書の原則なのです。

しかし、男性たちがこの言葉を利用して男社会を作ってきたことも否めません。ユダヤの国、2000年前の社会では、紙切れ一枚で離婚できた社会と今も男性の考えは少しも変わっていないように思いますがと言うのは言いすぎでしょうか。

(3)コロサイ3:19 「夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない」。                                                 パウロは結婚をしませんでした。しかし、当時の女性たちが低い立場にあったことを十分に知っておりました。妻に対する聖書の教えが厳しいと不満を持つ女性もおられるでしょうが、妻に従えというよりも、「妻を愛しなさい 」はもっと厳しいものと私は認識しています。夫に対する聖書の教えは女性に希望と慰めと喜びを与えるものと思っています。

エペソ人への手紙5:25(新約306)「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。28、それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。33、いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい」。

(4)何故厳しい言葉であるかと言えば、5:25「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」。キリストが教会のために、私たち罪人のために命を捨てて下さったように、妻を愛しなさい」と言っているのです。簡単に言えばあなたは妻のために命を張っていますか、命を捨てられますか、命を捨てなさいと言っているのです。「自分の妻を自分自身のように愛しなさい」。別の言葉で表現すれば、「妻が嫌がることをしてはならない」ということになります。

そこに愛と喜び、主キリストの祝福が注がれるのです。問題が起こるというのは、聖書の基準から離れている、崩れていることを教えるのです。その時にすべきことは、神の前に弱さを認めて悔い改めること以外にありません。妻に対して、夫に対して素直に謝ることです。それが主イエスを信じる者にふさわしいと聖書は言います。

2、親子関係の基本

(1)パウロは厳格なユダヤ人の家に育ちました。親はローマの市民権を持つ富豪、大金持ちであったのですが、親に従うこと、言葉使い、挨拶、仕事など厳しく育てられたに違いありません。2000年前の旧約聖書の時代ですから。

箴言13:24「むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる」。

こともパウロの家の家訓のようであり、そのように育てられてきたのでしょう。もちろん両親の命令にも従ったでしょう。しかし、心からアーメンと言えたかどうかは分かりませんが。また反対に彼自身父親に反発を覚えることもあったでしょう。父親の命令に心から従えないこともあったでしょう。ふくれっ面をすることもあったでしょう。近所の友人たちから親に対する不平、不満も怒りも聞かされたでしょう。同調することもあったでしょう。親の厳しさに家を飛び出したものもいたでしょう。親に対して苛立ち、いじけている友達もいたでしょう。伝道者になってから実際に、信徒から相談されたこともあったかも知れません。だから、次の言葉が出て来たと思われるのです。
3:21「 父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから」。

(2)佐伯福音キリスト教会の信徒で元中学校の校長をされた森さんは面白い教師、厳しい教師であったようです。本人から聞きましたが、、。生徒が教師の言うことに従わない、宿題を忘れてくる、勉強ができるのにしない、授業中に騒ぐ、などなど問題児がいたようです。すると、生徒の家に電話して、「このままではおたくの子供さんはダメになる可能性がありますので、よく言い聞かせて、バットで尻をたたきます。いいでしょうか」。親は子供を叱っても反発されるし、子供を叩ける親はいませんので、「先生、お願いします。叩いて下さい。いくらでも叩いて下さい」。何という教師とPTAの関係かと思いますが、この信頼関係で子供は育っていきます。

(3)両親に従えるように、神様に喜ばれるように育てていくことも親の責任です。親は辛いなあと思いますが、3:20 「子たる者よ、何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである」。
パウロは子供教育にも心を配っています。なぜなら、子供は次の世代、教会の責任を担うものになるからです。両親に従うことは主イエスを信じる者にふさわしいのです。

3、主人に仕える僕の基本

(1)コロサイ3:22 「僕たる者よ、何事についても、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、真心をこめて主を恐れつつ、従いなさい」。                                     
パウロの時代には奴隷制度がありました。奴隷が金品で取引されていました。奴隷であってもクリスチャンになるものも多くいたのです。主人がクリスチャンになれば家族と一緒に教会の集会に参加したのです。

(2)ピレモンへの手紙にはオネシモという奴隷がいました。主人ピレモンが厳しかったのでしょうか。オネシモは主人の元から逃げ出し、投獄されていたパウロのところに逃げて行ったのです。そこでオネシモは主イエスを私の救い主と心に迎えることが出来ました。当時の奴隷は、主人から使い捨てにされることも、当然売られることもあったのです。パウロはオネシモを主人の元に返します。その時の手紙がピレモンへの手紙なのです。パウロがオネシモをいかに扱ったかが分かります。

ピレモン(新約341)v9 「むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、1:10 捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。1:11 彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。1:12 彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である。1:13 わたしは彼を身近に引きとめておいて、わたしが福音のために捕われている間、あなたに代って仕えてもらいたかったのである」。

(3)大企業では社長が末端の社員まで気が回らないでしょう。しかし、末端の社員にまでも愛する者でありたい、大切にしてほしいと願います。従業員には心から与えられた仕事に取り組んでほしいということです。

奴隷であろうとなかろうと、私たちに言われていることは、コロサイ3:22 「僕たる者よ、何事についても、肉による主人に従いなさい。、真心をこめて主を恐れつつ、従いなさい。3:23 主に対してするように、心から働きなさい。3:24 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである」。

どのような仕事であれ、キリストに仕えるようにすることです。神の聖霊は言います。「それが、主にある者にふさわしいことである」。主にふさわしいものとなることを祈りましょう。
(説教者;中津福音キリスト教会 小松清志名誉牧師)

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