『奉仕のささげ物』(レビ記2章1〜10節) ( 2.22/2021 )
「これは、主への火によるささげ物である。」(16節)

序. 今朝の章はキリストの奉仕の生涯を表している。ここから神に喜ばれる奉仕のささげ物を学びたい。

1. 小麦

「穀物」。約束の土地に入ったことを前提とするささげ物規定。すべては神から与えられたもの。労働は主の賜物。労働の実を主にささげるべき。
礼拝の民にとって、すべての営みは神へのささげ物。日曜だけでない。すべては神の栄光を表すための営み。神への奉仕。神に受け入れられる奉仕のささげ物はどのようなものか?
第一に作物であること。私たちはどのように奉仕のささげ物をささげたら良いだろうか?穀物は野生ではない。手をかける作物。
「小麦」粉にする。自我は砕かれ、訓練を要して立派な作物は実る。怠惰な奉仕は受け入れられない。自分を空しく卑しくし(ピリピ2:6-8) 、従順を訓練され、永遠の命のパンを人に分け与えられた。
「乳香、油」=祈りによって聖霊の助けを受けて。

2.「あなた」の奉仕―賜物は個人のもの

それぞれの賜物が違う。一つとして同じ賜物はない。比べることはできない。卑下してはならない。レプタ2枚。神の前に心をささげるのがささげ物。
賜物は人の徳を高めるためにある。「パン種」=自分を喜ばせる思い。「蜜」=人を喜ばせたいという肉につく愛情。それらを除き、純粋真実な心で。「霊とまこと」。

欠けも弱さも病も逆境も神の賜物として用いられる。ピンチをチャンスに用いる神の不思議。

生きている限り、神に生かされるという使命がある。

3. 契約の塩=神の召命、信任に立つ

「塩」=永遠の神の御言葉。神の選びと信任。臆せず、信じて従うことが神のわざ。

おわりに. 内に愛の炎をいただいて

油とは聖霊。燃やされる。その実体は涙を伴う愛。
救霊の涙をもって。主の涙を知って、キリストの苦しみの足りないところを共に担う神の同労者として。
(説教者;田代美雪牧師)

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