「熱のために差し伸べる手」(マルコ1章29〜31節) ( 3.20/2011 )
「イエスは近寄り、その手をとって起されると、熱が引き、女は彼らをもてなした。」(31節)

マルコはカペナウム(カファルナウム)での主イエスの伝承をここにまとめて記していると考えられています。

今日のテキストに出てくるシモンの姑はイエスと出会う前は熱に冒され伏していた人でありました。けれども、主イエスに出会い彼が手を取って起こした時、彼女の熱は去りました。

3月11日(金)に東北沖で大地震が起こり多くの犠牲者が出ています。現在も深い悲しみのゆえに立ち上がることができない方や避難所での生活を強いられてる方々が多くおられます。また、目に見えない恐怖にさらされつつ地域に留まって生活しておられる方もおられます。生活をどのように立て直せばよいのか、今後5年から10年、またそれ以降にどのような健康の変化が起こるかわからない状態です。

主イエスを通して教えられることは、熱(不安や他者からの原発事故による中傷)もはねのけて立つことができるということです。今も多くのお電話やお便り、支援物資、新潟の教会から支援お話を聞いておりますけれども、そのような主イエスに倣う人々によって確かに力を頂いております。

現実から目をそらしても環境は変わりません。けれども、弱っている時には差し伸べてくださる手をしっかり握って立ち上がらせて頂きましょう。

そして私たちもまた主イエスに倣って不安におびえる方々のために手を差し伸べる時、その方は立ち上がることができるのではないでしょうか?熱に冒されている人々のために手を差し伸べる者となりましょう。私たちの手を用いて隣人と一緒に立ち上がりましょう。

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