『罪のきよめ』(レビ記4章1節〜12節) ( 4.18/2021 )
「祭司は、その人のために、その人が犯した罪の贖いをしなさい。その人は赦される。」。(35節)

序. クリスチャンの成長の秘訣は悔い改め。罪との対峙。 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言われる主イエスにより如何にして人の罪が赦されるのか、そのひな型を学びたい。

1. 連れてこられたいけにえ

「罪が自分に知らされたなら」罪の自覚は実は救われて後。良心は麻痺している。キリストの血が良心をきよめ得る。罪を知らないことが最大の罪。罪の処置法とは?
「傷のない」。罪を知らない方のみ罪を除くいけにえとなり得る。彼は「黙して」連れてこられた。口においても罪を犯されなかった。「頭の上に手を置き」。罪の告白。

何を謝ったのか分からずその過失を赦すことはできない。その罪を口で表さない限り赦しはない。罪の告白は裁かれるためでなく赦され放免されるため。

2.ほふられたいけにえ

1)流された血
「ほふる」。血が流された、ということ。ルカ22:20。

2)伴われ、かけられた血
 一緒に赦しを乞うため伴ってくださる仲介となる血。赦しの準備。

3)訴える血
あなたを裁くアベルの血ではない、無罪を主張する身代わりの血。
この血を見て、神は赦さずにはおれない。支払いが済んだ証明書。

4)注がれた血
罪を洗い清める血。もはや断罪されない。罪は覚えられない。

3. 呪われたいけにえ

十字架とは呪いの木。御子は御父に断絶され、都の外に罪のかたまりとして呪われた。罪を知らない方が罪とされ、罪人が義とされた。

おわりに. 罪がわかるのはキリストの愛を知ってから

私たちの良心が目覚めるのは、神の愛に触れた時。

もし、罪を「知らされた」なら、キリストの十字架に行き、救っていただこう。キリストはいつも完全に救うことができる。
(説教者;田代美雪牧師)

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