「自分を与える宣教者」(1テモテ2章6節) ( 5.9/2021 )
「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。」(6節)

何のために生きているのか、考えたことはおありでしょうか。使徒パウロは唯一の神と唯一の仲介者である主イエス様を証しするために生きるように任命されました。
あなたも、70億いる方々の中のおひとりでありますが、神がこの機会にあなたを任命されていないか唯一の神に祈ってみていただきたいのです。

1.その証しとは

神が唯一であり、神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスであるということです(5節)。

2.仲介者は何をしてくださったのか

キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました(6節)。

3.自分を与えているのか(15節)

8節に、「そういうわけで、私はこう願っています。」とあります。
そして、キリストがすべての人の贖いの代価としてご自分を与えてくださったことの証しのために任命されたひとりの宣教者はこう命じているのです。
「男たちは怒ったり、争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈ること。
女たちはつつましい身なりで、良い行いで身をかざりなさいと。そして、良く従う心をもって静かに学びなさい。」と
もし、ご自分を与えてくださった唯一の仲介者を証ししたいと思うなら、ということです。そのような思いが無い場合は、主イエス様以外の誰かを伝える宣教者になられているということです。
そして、だまされたエバの例が理由として挙げられています。

しかし、昨今、神が用いられている働き人を遠くからですが見ますと、ご自分を与えておられる女性教職者がおられ、また、一方、創世記3章4節で蛇にだまされてしまったエバと同じ道にいざなわれた男性教職者もおられるのではないかと思うのです。

仲介者は偉い先生ではありません。ただ、主イエス様という神が許されている唯一の仲介者に仲介をお願いして唯一の神に立ち返りましょう。自分を与えるために。

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