「ハガルへの神の顧み」(創世記16章1〜16節) ( 3.24/2011 ) |
そこでハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。(13節a) 創世記16章の登場人物の中で、弱い立場に陥ったのがエジプト人の女奴隷ハガルです。彼女は、自分の意志とは関係なく、自分の女主人であるサライの命令でアブラムの子を宿しますが、やがて女主人サライに対し主従関係を無視して傲慢に振る舞うようになり、そのために彼女から疎まれて、居場所がなくなって家を出ます。女主人にも、また夫のアブラムからも顧みられなくなり、やむなく放浪の旅に出たハガルに、主のみ使いが言葉をかけるところがこの16章のポイントになる箇所でしょう。ここでアブラム・ファミリーは何もしていません。一族から離れた事により、何も持たない弱者となったハガルのため、神は使いを送って励ましたのです。後にこのハガルから生まれる子がイシマエルです。マホメットは自らを「イシマエルの子孫である」と言ったそうです。イシマエルは(神は聞きたもう)という意味です。ハガルはイシマエルという信仰を受け入れ、その信仰はマホメットをはじめ今のアラブ民族にまでつながっているようです。神の顧みはイスラエルに敵対するアラブにも注がれています。 1.その場所 8節で主のみ使いは、ハガルに「あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」と問いかけますが、彼女はどこへ行くのか行き先を答えることはできません。そこで、主の使いは「女主人のもとに帰ってその手に身を任せなさい」と勧めます。これはハガルにとって一番辛いものです。何故なら、女主人のもとで謙って生きなければならないからです。しかし、主はハガルに生きる希望を与えます。 2.その希望 それは、イシマエルでした。主が彼女の苦しみを聞いてくださり、子は必ず与えられ、野ロバのような人となると約束されました。子どもを守ってくださるお方は主なる神でした。ハガルは決して孤独にはならなかったのです。 3.その結果 子どもへの神の約束を聞き、ハガルは自分を見ていてくださるお方が存在することを知りました。それはアブラムでもサライでもなかったのです。私たちの生涯を見ていてくださるお方もおられるのではないでしょうか?私たちも孤独や不安の真っ只中で、ハガルのように「あなたはエル・ロイ(神、見たもう)です」と祈れるほどに、神に支えていただけたら幸いだと思います。神の顧みは不遇な一人の女性にも豊かに注がれました。強い人の目にどのように映ろうとも、逆境にある人にも神がついていて下さるのです。 ※ベエル(泉)、ラハイ・ロイ(生きて見たもう神)、ちなみにインドの「観世音」は慈善のシンボルとして想像考案したもので、「音」(願い事)を自由自在に見取る、聞き取るという意味。 |
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