『あなたが私とともに』(詩編23編) ( 5.24/2021 )
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
…あなたが私とともにおられますから。」(詩編23編1節、4節)

序. 本日は三教会合同礼拝。ペンテコステ(聖霊降臨節)礼拝。場所は違っても同じ主の民として、詩編23編より聖霊の恵みである臨在信仰に立たせていただきたい。

1. 主は私の羊飼い

ダビデ自身が良い牧者であった。良い牧者とは群れの中の一番弱い羊に配慮することができる牧者(創世記33:13)。戦士として敵を恐れぬ勇気を持ちながら、一方で女性的な細やかさを持ち合わせている牧者だったからこそ、一国を任されても良き王であった。しかし、時に自分自身が一番弱い羊であることを自覚することがある。その時に、「主は最も弱い私に無理させず配慮して導き養ってくださる真の牧者だ」と気づかされる。これが第一の臨在信仰。

2.死の陰の谷で

人は信仰を持っていても、時に自分の力に及ばない「死の陰の谷」、ぎりぎりの崖っぷちのような所を通らせられる時がある。ダビデも死と生の境界線を彷徨った時がある。もはや、どうしようもない時。誰が助けることもできない谷間の道。孤独と不安。しかし、その誰も知らないと思っていた道に一つの足跡を見つける。また、他の谷間の道を歩む時もまた同じ足跡がある。誰も通ったことのない道だと思っていたのに。それは主イエスが先に踏まれた足跡。
「あなたがたのあった試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えてくださる」(Tコリ10:13)。
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのである」(ヘブル4:15)。
ダビデは死の陰の谷で、「主」から「あなた」とより近い主の臨在を知った。

3. 敵の前での宴、主の家に住まう

この地域では敵や盗賊から逃れてきた旅人を天幕の中にかくまう習慣があった。ダビデはギルアデというアブシャロム軍の目と鼻の先にあるマハナイムで富豪バルジライによって豊かなもてなしによって養われたことを回想した。
「主の家」。どのような家であるかより、誰と住むかにかかっている。主が主人である家なら、敵の前でも喜びが尽きない。教会も聖霊の生き働く教会に。
「すべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置く」(Tテモ6:17)

おわりに. 慰めの子

信仰者に悩みは尽きない。しかし、苦しみは神の慰めを受け、また私が慰めの子となるため(Uコリント1:4)。ここが地獄でも主がおられるならそこは天国。
ともに歩んでくださる主に導かれ、慰め合い、祈り合ってまいりましょう。

(説教者;田代美雪牧師)

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