「敬虔の奥義は偉大」(1テモテ3章16節) ( 6.6/2021 ) |
「キリストは肉において現れ、霊において義とされ、御使いたちに見られ、御国の民の間で宣べ伝えられ、栄光のうちに上げられた。」(16節) 人は、何を考えているのか口を開いてみなければわかりません。人生そのものにその方の考え方が現れてはいますが、イエス様を信じた後、ある方は監督として、ある方は執事として神様に仕えていました。現代では監督とは使徒の働きを引き継いで地方の責任を任された方「使徒の継承者である監督は聖霊によって神の教会を治めるように置かれた」(16世紀のトレント公会議)で、群れを牧する者(使徒20章28節、1ペテロ5章2節)ですので牧師、または牧師を管理する立場の方でしょうし、執事は信仰生活のお世話をする方(特に貧しい人を助ける役割を担う方)ですので教会役員さんがその務めを任されていると言えると思います。すなわち、大切な務めを担う方について記されているのがこの3章です。 まず、その資格について、資格を得るための過去もののテキストが販売されているのではありません。5節に「自分自身の家庭を治めることを知らない人」とあります(4節、5節、12節参照)。すなわち家庭がどんな状態であるかが問題だというのです。では、なぜ、家庭を治めることが難しいのでしょうか。 7節に「あざけられて」とあります。地位があってもなくても、美しくても美しくなくても、お金があっても無くても、一般的に隣人を愛する人があざけられることはないと思います。しかし愛するにもいろいろな表現がございまして、政治家のようにどんなに権威があって、社会に仕えている方でもあざけられてしまうことがあります。 ではいったい、何が家庭を壊し、また逆に建てるのでしょうか。 7節に悪魔がということばが出てまいります。すなわちこの悪魔に勝てないと家庭は壊れます。しかし、悪魔に勝てる人はいません。では、どうすればよいのでしょうか。 悪魔よりも強いお方を信じればよいのです。すなわち、敬虔には奥義があるのです。そしてその奥義とはキリストです。キリストが私共の家庭を建ててくださいます。 「キリストは肉において現れ、 霊において義とされ、 御使いたちに見られ、 御国の民の間で宣べ伝えられ、 栄光のうちに上げられた。」(16節) キリストだけが神であることを知るべきです。 キリストを崇めキリストだけを礼拝しましょう。(イエス様〜、感謝します!)っと。 口から出るのは「イエス様」であるべきなのです。すなわち、心が主イエス様と一緒でなければなりません。 イエス様がすべてを成してくださいます。 |
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