「死ぬことがない唯一の方」(1テモテ6章16節) ( 7.11/2021 )
「死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方、この方に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。」(16節)

6章には、奴隷の立場にある方への勧め、そして、お金持ちになりたいと思っている人たちへの勧め、そしてすでにお金持ちになっている人たちへの勧めが記されています。

第一に奴隷の立場にある方々には、神の御名と教えのために主人を尊敬に値する人と思いなさいと命じています。
第二に、お金持ちになりたいと思っている人々ですが、金銭を愛することは、あらゆる悪の根であると教えています(10節)。むしろ、信仰の戦いを立派に戦いなさい。あなたはこのために召されているのだとテモテに、そして読者であるわたくしたちに告げています(12節)。
第三に、富んでいる方々に、頼りにならない富に望みを置かず、神に望みを置き、善を行い、惜しみなく施し喜んで分け与えて、来るべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じています(17節〜19節)。

さて、どうして利得を求めるような信仰になってしまうのでしょうか(5節)。

それは、主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しないからです(3節)。同意とは、プロセルコマイというそうですが、愛着のゆえに近づけられるという意味だそうです。すなわち、同意しないとは、主が命じられたように(マタイ22章37節〜39節)隣人でなく、お金などを偶像化して愛してしまうと人生が狂うのです。そして、もっと大切なお方である神を見失うと人生が狂うのです。(9節、10節)。

私共が礼拝すべきお方は、お金ではなく「唯一の主権者、王の王、主の主」です(15節)。すべてのものにいのちを与えてくださる神、キリストの現れを定められたときにもたらしてくださる祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできないお方です。

もし、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和について、神の御前で、そして、キリスト・イエスの御前で少しでも不安な部分があるのでしたら、主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔(神を恐れ敬うこと)にかなう教えに不従順になったり反発したりしていないか省みましょう。神は「あなたの前に罪ある者です」(ルカ15章21節)と告白して戻ってくる息子を迎えてくださいます。

あなたを受け入れてくださる神の愛以上にあなたが慕い惹かれていっていたすべてのものを悔い改め、主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えに同意しましょう。そうすれば、あなたは必ず真の神に出会えます。そして、お金の支配、すなわち誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望から救われます(9節)。

人はキリストを愛し、キリストに仕えるのです。そして、キリストの再臨をのみ、待ち望んでいるのです。15節に「キリストの現れを、定められた時にもたらしてくださる、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主」がおられるのです。すなわち、人を愛し、人に仕え奴隷となるのではありません。皆、キリストに仕えるのです。それが許されるのはキリストの現れを定めてくださっている死ぬことがない唯一の方の故です。

TOP