「主の囚人」(2テモテ1章8節) ( 8.1/2021 )
「ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」(8節)

この2テモテ1章には、日本人が最も苦手とする「恥」がでてきます。パウロは「主の囚人」と自らを呼びました。主の囚人は主に喜ばれるかどうか、だけを気にするのです。ですから、ローマ帝国は皇帝を主としないパウロを危険人物として牢に入れているのです。すなわち、悪魔の囚人ではなく主の囚人になれますか?と今日問われているのです。

1.福音とは

「福音のために私と苦しみをともにしてください」とあります。パウロのためにではなく、福音のためにです。ですから福音とは何かを確認しましょう。福音とは、

第一に、聖なる招きをもって召してくださったということ。

第二に、キリストの出現、神の計画と恵みであり、すなわち永遠の昔から与えられ、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたこと。

第三に、キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたということです。

2.死を滅ぼすとは

滅ぼすということばは、カタルゲオーということばです。それは、無力にするという意味があります。死が無力になる、となると、刑罰は無力化されます。法治国家としては、制御不能になるということかと心配してしまいますが、世が神から離れ、神を死に追いやって久しいといいますか、神の存在自体を教えないこの日本においては、日本国民は現在死の奴隷なのです。

しかし、私共は死の奴隷で終わらなくてよいのです。キリストが死を滅ぼしてくださったのです。すなわち、復活はあるよ、と教えているのです。
聖なる召し、キリストの出現、復活。福音(良い知らせ)とはたったこれだけのことかと思われるかと思いますが、もし、キリストがおられないなら、またキリストがよみがえられず聖霊が下ってくださらないなら、わたくしどもの人生は変われないのです。依然として罪の奴隷、すなわち死の奴隷なのです。

しかし、14節、「委ねられた良いものを」世にはキリストの救いに与っている人々が既におられるというのです。ですから、探せば良いのです。御霊を持つ人を。

あなたを召してくださったお方が必ずいつか、もし十字架と復活を信じさえすれば、あなたを救いきよめてくださるのです。そしてお金や名誉に仕えていた者を、オネシポロのように、主の囚人に仕える者と変えてくださるのです。そして、やがてあなた自身も主の囚人にしてくださるのです。

(注;主とは、神のことです。)

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