『祭司の国民』(レビ記6章8節〜30節) ( 8.16/2021 )
「祭司は朝ごとに、その上に薪をくべ、その上に全焼のささげ物を整え、…」(:12)
「火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない」(:13)

序. 神はかつてシナイ山を震わせて語られたが、今、幕屋にまでへりくだられ、私たちを呼び、語られる。そこには血の契約があった。神はイスラエルの神、イスラエルは神の民となった。神はささげ物の贖いによって、人の罪を見ず、人と交わられる。
私たちはどのようにして神の民の聖さを維持するのか?

1.常供の燔祭

1章の燔祭規定は個人の礼拝のためのもの。6章は民全体のために、その代表として祭司が毎日捧げる燔祭について書かれている。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Tペテロ2:9)
私たちは神の聖なる祭司なる民。その使命は火を「消してはならない」ということ。

朝に夕に。私たちは異邦諸国に囲まれて生活する。朝、わたしは誰のものかを確認し、寝る前に、一日を思い起こし、「わたしは神のもの」であることを確認し床に就く。

灰を取り除け。火をくすぶらせるもの、神以外のものを聖別し別っていく。

御言葉の薪によって、神の愛を再燃させられる。十字架のイエスを見る時、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:19,20)ことを信仰をもって受け取る。

2.常供の素祭

「素祭」=meal offering。Offeringがもともと「贈り物」。創世記43:11。高貴な方の愛顧を求め、その権威を認め、贈る物。
素祭は様々な調理、形があったがただ一つの条件は「小麦粉」。当時の最高品質のもの。献げものは差し上げるもの。寄付ではない。神に非礼のないようにしたい。神を愛する心からのものかどうか。
一日の最も新鮮な時間。与えられた財の初物。着る服、一週間の用い方。

たとえ祝祷にようやく間に合った礼拝でも、その心が、神が喜ばれる礼拝。

「完全に焼き尽くすべき」ささげ物。御子キリストそのもの。私たちの一日の務めは不完全。神に受け入れられない。しかし、御子の奉仕というささげ物によって、私たちも受け入れられるささげ物と見ていただける。

3.主の苦しみと主の報いに与る

罪祭を食することは、人の罪を主と共に担うということ。この身が呪われても。
「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」(ローマ9:3)

しかし、その報いにも与る。十字架なくして栄光なし。
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」(詩編126:5)

おわりに. 主の専属の器として

「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(Uテモテ2:21)

(説教者;田代美雪牧師)

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