「神は私のさばき主」(ダニエル書1章20節) ( 8.22/2021 )
「王は、知恵と悟りに関わる事柄を彼らに尋ねたが、彼らがそのすべてにおいて、国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていることが明らかになった。」(20節)

本日はダニエル書を学ぼうとしております。ダニエルはヨシヤ王(2列王22章、23章)の時代に生まれ、幼少のころバビロンの王ネブカデネザルの政策によって(前605年)バビロンに捕囚としてひかれて行った民の一人でした。3節には「王族や貴族を数人」と記されていますので、彼は南ユダ王国においては特権階級にいた人物であったようです。そして容姿が良く、知識や洞察力に富み、カルデヤ人の文学とことばを教えるにふさわしいと認められた少年でした(4節)。

ダニエル(前605に捕囚となり、前536働きを終えた)と同時代の預言者には、エレミヤ(前627〜前586)、ハバクク(前612〜前589)、エゼキエル(前593〜前571)がいます。ダニエルは9章2節「ダニエルは預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」から、エレミヤと深いかかわりを持っていたことが分かります。しかし、ダニエルはエルサレムから800キロメートル(大分市から富士山の富士宮5合目までが816キロメートル)も離れた異国の偶像文化の中枢において、どのように信仰を保ったのでしょうか。

1.彼らに与えられた名(3節〜16節)。

ダニエルとハナンヤ、ミシャエル、アザルヤは3年間の養育期間を与えられ、王と同じ食事、そして同じ飲み物を与えられ、教育を授けられることになりました。ここで、彼らは信仰に基づく葛藤を経験します。恐らくレビ記11章の食物既定に反することになることを知ったのです。そこで彼らは宦官の長に願い出て10日間野菜と水だけを与えて、王のごちそうを食べている少年たちの顔色と比べてくれるように頼むのです。結果、野菜と水で生活することを許されるのです。そしてこのことを一番喜ばれたのは神でした。彼らは知識と理解する力と知恵を神からいただいたのです(17節)。
彼らは、目に見える支配者ではなく目に見えない、支配者たちをも支配しておられる神を恐れました。そのために彼らには親からつけてもらった名がありました。
ダニエル(神は私のさばき主)
ハナンヤ(主は慈悲を示される)
ミシャエル(誰が神のようであるか)
アザルヤ(主は助けられる)
という名でした。ネブカデネザルは宦官の長によって彼らの名を変え、彼らから信仰を奪おうとしましたが、神は私のさばき主という信仰は世の権力者の与える恐怖を飲み込み、彼らを信仰にしっかりと立たせました。

2.十倍努力した(17節〜20節)

神は正しいさばきを行うお方であることを知っていたダニエルとハナンヤ、ミシャエル、アザルヤは神のさばきを受けます。すなわち、王の前で知恵と悟りに関わる事柄を尋ねられることとなります。その時、明らかになったのは彼らが他の呪法師、呪文師よりも10倍もまさっているということでした。彼らは捕囚という暗い立場に追いやられても神の主権を疑わず、いつ終わるともわからない困難の中でも誠実に努力しました。人並ではなく、二倍でもなく、三倍でもなく、神のくださった評定は十倍でした。

世が神を否定しても、神を信じ、御前に誠実に仕えることにおいて、十倍を目指して頑張りましょう。

参考;7節、宦官の長アスペナズが4人に与えた名の意味は、ベルテシャザル(ベルとはバビロニアの主神で、ベルよ、彼の人生を守り給え、の意)、シャデラク(アク「月の神」の命令の下に、の意)、メシャク(だれがアクのようであるか、の意)、アベデ・ネゴ(ネゴの召使い、の意)。

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