「走るべき道のり」(2テモテ4章7節) ( 9.11/2021 ) |
「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(7節) 神の堅固な土台は据えられていて、エペソ2章19節に、主の御名を呼ぶ者はみな、不義を離れよとあります。そして、「キリスト・イエスに対する信仰による救い」(3章15節)があり、そこへ導くものが聖書です。そして、この4章に来まして、伝道者が必要なのです。すなわち悪魔に捕えられている人を柔和に導く者です(2章24節〜26節)。 パウロ先生には義の栄冠が現実のものとして見えていました。しかし、それは、走るべき道のりを走ったからです。ゴールを間違えている場合、好き勝手に走っていて主の現れを慕い求める(4章8節)などということは考えられません。主を慕う、ところからして主と同じ道を歩んでみないとわからない世界であろうと感じます。 では、走るべき道のりとは何なのでしょうか。 2節「みことばを宣べ伝えなさい。」です。 みことば、とは何を宣べ伝えるのでしょうか。それはイエス・キリストです。この方はダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった方です(2章8節)。 どうして、みことばを宣べ伝えることが難しいのでしょうか。 悪魔が存在して私共の心をとらえ思いのままにしているからです(2章26節)。すなわち、思いあがって神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者にされているからです(3章5節)。だれひとり、見かけだけの信仰を望んではいません。しかし、悪魔は巧妙で主イエス様に信頼させないように万策を尽くしているのです。そして、不本意な信仰生活に甘んじさせているのです。すなわち悪魔は見えないように支配しています。悪魔の支配の証拠は、神と隣人を愛するのではなく、偶像を愛している点です。 しかし、キリスト・イエスへの信仰は私共を救うのです。すなわち、死からよみがえられたお方が私共を救い出してくださるのです。そして、伝道者とするのです(4章5節)。 すなわち、走るべき道のりとは伝道することです。 伝道すること、すなわち、みことばを宣べ伝えることを志す時に注意すべきことがあります。 それは、10節、今の世を愛してしまうことです。 知識も名誉も財産も今の世のものでしょう。この4章で明らかに語られているのは主の現れです(8節)。 すなわち、世の栄冠ではなく、義の栄冠です。この栄冠は主が授けてくださるのです(8節)。 世の栄冠から、義の栄冠へと求めるものを変更しましょう。走るべき道のりを走りましょう。パウロ先生は見捨てられても、主が獅子の口から救い出してくださったと主を証ししました。私共もそれぞれ、どんな中から救い出していただいたのかを証ししましょう。(わたくしの場合は、「悪魔よりも強い方と出会いました。それは主イエス様でした。主イエス様は、悪魔よりも強い主イエス様に信頼するわたくしをいつも守ってくださいます。」とお証しします。) |
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