『まよい子を探す神』(マタイ18章10節〜14節) ( 11.1/2021 )
「もしその羊を見つけたなら、その人は、・・・この一匹を喜びます。』」(13節)

序. この時期、迷子を必死で捜した事を思い出す。迷い子を探す神の姿を見たい。

1. 迷い出ている人間

この羊が表すものは「小さい者」、すなわち、群れから離れやすい状況の人を示す。教会においては信仰の繊細な者かもしれない(Tコリント8:11)。

しかし、そもそも人間は皆、迷いやすい。聖書に見る人間の歴史は、神から迷い出た歴史。「すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない」(ローマ3:12)。人は糸の切れた凧のように、その時代に吹く風に流されるまま毎日が過ぎる。「これで良いのか」と問う暇もない。

神は神から迷い出た人間を捜しておられる。「あなたはどこにいるのか?」(創世記3:9)と。羊は羊飼いの声を知っている。ジョージ・ミュラーは若い時、罪から離れられなかったが、クリスチャンの小さな集会に参加して、「自分が探していたものはこれだ」と分かり、そこから人生が一変し、祈りのみで神の事業を成した人。どんなに神に関心がない様に思えても、人の心の奥深く、霊の部分は、私を造った神を求める。

「神のかたちを持つ人間は、神に帰るまで真の平安はありません」(アウグスティヌス)。

2. 迷い出やすい子羊(2)

ある人はこれは子羊だろうと言った。教会は知らずの内に子どもや子育て中の親を閉め出しやすい危険がある。「イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて」(:2)。「大人になってからも礼拝中走り回ることはない。子どもはすぐに成長する」。子どもを、教会学校を、教会の真ん中に。子どもを神の許に留め置く親の務めは、門限と同じで子どもの魂を守るための主の愛のご命令。
「私はどこへ行けるでしょう。…どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて」(詩編139:7)

3. 躓きを取り除く努力(6)

羊は躓きやすい。傷つきやすい。ある先生は、「聖書のことばそれ自体が躓き。だから、それ以外の躓きとなるものを極力取り除く努力をする」と言われた。トマスは主の復活の日に弟子たちの群れから離れていたために、喜びを共に分かてず、心が冷えていた。しかし、主はそのトマスの疑う言葉を聞いておられた。主はトマスの心に触れられ、「わたしのわきに手を入れなさい」とご自分の傷口に触れさせようとされた。「その打ち傷のゆえに、わたしたちは癒された」(イザヤ53:5)。ある牧師夫人は教会の中の悩みが重なり、視力を失われた。心臓も悪くされた。先輩牧師が訪ねて来られ、「主の御手の傷跡、御足の傷跡を共に負ってるんだね。」と言われ心の傷が癒された。主の傷跡に触れて癒されない傷はない。

おわりに. 天に届いた祈り

CS教師研修会で聞いた話。ある少年が牧師のある言動に躓いて、教会を離れてしまった。長い年月の後、彼が教会に帰ってきた時、その牧師は天に召されていた。「先生は、あなたを躓かせたことを悔やんでずっとあなたのために祈り続けていましたよ」と言われた。もし人が天に召されたとしても、祈った祈りは主の御前に覚えられている。失望せず祈り続けよう。

「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です」(Tコリント13:13)
 
(説教;田代美雪牧師)

TOP