「キリストにあって安心」(ピレモン20節) ( 11.14/2021 ) |
「そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。」(20節) ピレモンへの手紙はコロサイの教会宛ての手紙ですが内容はパウロの嘆願です(17節)。執筆された紀元60年頃は奴隷制度がありました。奴隷の値段は男性が100万円〜160万円だったと言われています。コロサイ教会に場所を提供していたピレモンにはオネシモという奴隷がいましたが、主人に何かしらの損失を与えて(18節)逃亡中でした。そんな中、オネシモはピレモンの友人であるパウロと出会い救いに与り主人のもとに帰る決心をするのです(15節)。そしてパウロはピレモンに、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟として受け入れてくださいと嘆願しています(16節)。 私共は隣人を受け入れることができるでしょうか。また隣人を与えてくださった神を受けいれることができるでしょうか。ある伝道者は「この世界は神様のご計画通りに動いている。」をメッセージしたために3人の人と出会います。一人目は7歳の時に酒屋に丁稚奉公に出されて、夜の12時過ぎに一時間も離れている店にビールを4本届けている間につまづき手にもっていたビール瓶で右目を失った男性、二人目は両親が浮気して出て行ってしまったため孤児院生活をし、そこから抜け出して悪いことばかりしていたのですが、好きな女の子のために足を洗ってセールスマンになるのですが、その女の子は別な男性と結婚してしまったそうです。そして、この夫妻に暴力をふるい刑務所に入れられた(自分は悪いことをするために生まれてきたのか、と悩んでいるとのこと)男性。そして三人目は前科者の父親を持った女性で小さなころからいじめられて育ったそうです。でも、一人だけ親切な伯父さんがいて優しくしてくれたそうです。でも、その伯父様もお酒に酔った時、その子に乱暴をしたそうです。そのときからぐれてしまい、親に対する復讐、おじさんに対する復讐のためだけに、お金にしか頼れなくなってからだを傷つけているというのです。そしてどうして不幸な人がいるのかと質問しました。その時、伝道者は胸からくしゃくしゃのハンカチを取り出して言ったのです。わたしも婚約者に捨てられたのだと。そしてハンカチの裏を見せて、人生は刺繍のようにいったい何の模様ができているのかわからないし見ることもできない。しかし彼女を愛したことに意味があったことは表に描き出された文字を見るときに知ることができる、と神様は答えてくださったのだと知った、と語るのです。そして人間は間違いや失敗ばかりして苦しむのですが、見えない世界のことは信仰をもって見ることができると、若いころは恋愛しか知らなかったけれども、今では恋愛とは別の愛があることに気づきました。けれども、それは失恋の痛手を知ったためだったからですと答えます。そしてハンカチを持っていることを妻には内緒にしてね、と頼むのです。 では、神がおられたら私共は隣人を赦せるようになるのでしょうか。お酒で嫌なことを忘れることに浸っていた男性は「あんたは泥にまみれて働く必要がないからそんな口がたたけるのだ」と反論しました。そして伝道者が「あなたのご家族は?」と聞くとその人は怒りだすのです。でも伝道者はこう語るのです。「お酒を飲んでも苦しみが増していくのではないですか。あなたにもっと良いお酒を差し上げたいのですが。この酒を飲むと酔うどころか、心もからだもしゃんとして、苦しみや悩みから解放されますよ。 イエス・キリストはどんな無意味な仕事もすばらしいものに変える力を持ったお方です。今あなたは苦しんでいますが、それはあなたが喜びの生活に入るための一つの試練かもしれません。砂利を運び、穴を掘るそのお仕事を他人の2倍も頑張って、そして私たちの救い主であるお方のために、ささげてはどうです。」と提案するのです。結果は・・・。 最後に、わたしのように傷のある者が神様を信じて教会に行ってよいのでしょうかという質問がありました。その答えは、「何を言うんだ○○、俺をみちびいてくださるお方は、お前さんより、ずっとひどい傷があるんだぜ」 |
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