「見なさい。」(ルカ1章36節) ( 12.5/2021 ) |
「見なさい。あなたの親類エリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに、今はもう六か月です。」(48節) 神は老人となっているエリサベツに子を与え、マリアにも聖霊によって主イエス様を宿らせます。キリスト教会はカリキュラムを作って教理問答で宗教教育を行ってきましたが、この二人の女性に対して神がご自身のわざを行われる時を人間が定めることはできませんでした。人間はできる限りの環境を整えることはできますが、御手を伸べてくださるのは神の御業です。 1.神はいのちを与え ザカリヤもエリサベツも二人ともすでに年をとっていました(1章47節)。しかし、主の使いは仕事中のザカリヤにいきなり現れて「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい」(1章13節)。と告げます。一方、マリアにはザカリヤとエリサベツの出来事から六か月目に「恐れることはありません。マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。…聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」と主イエス様の処女降誕を告げるのです。 2.交わりを与え 39節に、マリアは御使いのことばを聞いて急いでザカリヤの家に行ってエリサベツに挨拶します。するとちょうど挨拶の声がエリサベツの耳に入った、ちょうどそのとき、胎の中で子どもが喜んで踊ったとエリサベツはマリアに証しします。そして主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は幸いです、と励ますのです。 3.神を賛美させる そして信じたマリアの心には主への讃美がわきあがりました。彼女は告白しています。「力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの。主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。」(49節、50節)と。 神は「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は幸いです。」(45節)という証のことばにより、まだ身ごもった直後にも関わらず主はマリアに受胎の信仰を与え、賛美を与えておられるのです。 私共の人生にも確実に神によって命が与えられています。ただ、交わりの部分については神に対する信仰をもった人と出会うことはけうです。また、神のみこころを知るために必要な聖書を読む機会もなかなかありません。結果、マリアにとって大切であった交わりの機会に恵まれず傷つき、疲れ切ってしまう生活になってしまうのではないでしょうか。 学生の頃恋愛結婚をし、その後、伴侶者の病気のゆえに離婚しその後アメリカに渡り、帰国後教師となり、キリスト教の学校の教員となったのですがそこで論語を教えて迫害され退職し、第一高等中学校の教員となりそこで天皇崇拝を拒否して辞職することとなり、帰国後直ぐに結婚した妻も病気で失って落ち込んでしまった一人の男性を立ち上がらせたのも造り主である神でした。「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには土のちりの上に立たれることを」(ヨブ19章25節)そして、3日目によみがえった復活の主イエス様を信じて立ち上がるのです。彼は不敬事件の時、皆から迫害され妻を通して慰められた時にも、同時に離婚した最初の妻のことを思い出してしまう自分自身の思いに苦しめられ神の御子を信じそのことを妻に告白して救われるのです。私たちにも聖書のことばや教会での交わりを通して今も神は語りかけてくださるのです。人生は平坦ではありません。教会で主と出会った人と出会い、自らも主と出会い、主を賛美しましょう。マリアでも三か月とどまったんですって。世は厳しいのです。 |
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