「共に生きる生活」(マルコ1章35〜39節) ( 4.3/2011 )
「すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。」(36節)

今、自分の命をかけて私たちの危機を救おうとしている方々がおられます。いったいどこを向いて歩けばよいのかわからない混乱の中で過ごしておられる方々のために、命の道筋を作ろうと必死になっておられる方々がおられる中で、私たちにできることは何でしょうか?

ドイツのヒトラー政権の中、ボンヘッファーはフィンケンヴァルデにおいて牧師研修所の所長を務めました。その中で彼が若い牧師達に伝えたのは「修道院的な隠遁生活ではなく、外に向かって自由に生活するための、内的に最も深められた生活」でした。

彼が1939年に出版した「共に生きる生活」の中で「私たちの救いは私たちの外側にある」というフレーズがあります。外側とはどこなのでしょうか。それは聖書であり、聖書が証ししている主イエスであると言っています。私たちの困難の中に真の現実があるのでなく、聖書の中に私たちの生命、救い、助けがある・・・その受肉と十字架と復活のなかに自分を見いだす者だけが、神と共にあり、神はまたその人と共にいます。と記しています。

主イエスの弟子達は、イエスを捜したというのです。私たちの求めているものを、イエスが知っているのではないでしょうか?シモンとその仲間はイエスのあとを追ってきた(36節)、とあります。私たちが求めている答えはこのお方の祈りの場に近づき、それを知り、そして生きることによって得られるのではないでしょうか?イエスの後を追う時、神と共に歩む生活は始まっているのです。そして神が愛しておられる方々も必ずそこにおられます。その時、自分の内にも真に隣人を尊ぶ思いが与えられ夜は明けます。

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