『本物の喜びをいただくクリスマス』(ヨハネ3章16節) ( 12.20/2021 )
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』」(:16)

序.

クリスマスおめでとうございます。クリスマスは新年の意味があります。B.C.とは「キリスト以前」。A.D.「主(イエス・キリスト)の年」という意味だからです。
一休和尚は「門松は「冥途の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」と詠んだそうですが、本当の新しさ、本当の楽しさはどこにあるのでしょうか?

1.「新しく生まれる」(ヨハネ3:3)

この聖句の前に、ニコデモと主イエスの問答があります。そこでは「新しく生まれる」ことについて「まことにまことに」と主イエスは語っています。

2.クリスマスは「楽しい」?

「麻婆豆腐」の「麻」は麻酔の麻です。麻酔はいつか効果が切れます。こどもはクリスマス・プレゼントを楽しみに待ちますが、一日で飽きてしまったら?壊れてしまったら?文句があれば?その楽しみはもう終わりでしょうか?お金は無駄になるのでしょうか?また来年を待つのでしょうか?親の方はこどもに本当に楽しいプレゼントを渡してあげられたら、どんなに幸いでしょう。

教会は楽しいところです。それは世の中にある楽しさと一つだけ違うところがあります。それは「罪と死の問題が解決されている楽しさ」です。つまり、わたしの心を暗くする問題が解決済みになった後の楽しさです。「心に一物、背中に荷物」では、何をしても心が軽くなりません。

3.あなたに関係があるイエス・キリスト

カナダで洗礼を受けられた友人は証しの中で「どうして二千年も前に死んだイエスが私と関係あるのか?」疑問だったと言っていました。もっともです。しかし、国と国の戦争が終わるためには代表者の取り決めが必要です。
神に敵対する人間が神と和解するために、主イエスが人間の代表として、神と和解させてくださったのです。罪ある人は罪人の罪を負えません。罪なき方のみ、人の罪の身代わりになれるのです。

イエス・キリストは十字架の上で「父よ彼らをおゆるしください」と祈られました。私の罪のために祈られたのです。「わたしに死刑になるような罪がありますか?」と疑問が起きるでしょう。もっともです。

しかし、聖書がお母さんからこどもへの手紙だと想像してみてください。
お母さんがこどもを愛して手紙を書いたのに、それを無視していたらどんなに悲しませることでしょう。私たちが神の愛を無視する忘恩の罪、それが私たちの罪の正体であり、また神の愛を知らないゆえに、人を愛することが難しいのです。また、不安が起きるのです。後悔が消えないのです。仕返ししたくなるのです。このわたしに「新しい」命、神が創造された日の栄光あるあなたのように、もう一度再創造してくださるのが、主イエスの与える永遠の命です。

おわりに.

どうぞ、わたしを愛してやまない神の御愛を感謝しようはありませんか。それが一番神さまの喜ぶクリスマスです。その時、本物の喜びがあふれます。
(説教者;田代 美雪牧師)

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