「知っていて聞かない人たちへ」(ダニエル書5章22節) ( 1.23/2022 )
「その子であるベルシャツァル王よ、あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした。」(22節)

このみことばを中心聖句に選ぶならば、私共読者もまた一人残らずベルシャツァル王と同じ場所に立たされるのです。

ベルシャツァル王に父と呼ばれているネブカドネツァルは神によって権力を得るのですが、「心が高ぶり、霊が頑なになり、高慢にふるまったので、その王座から引きずり降ろされ、栄光を取り上げられました。そして、人の中から追い出され、心は獣と等しくなり、野ロバとともに住み、牛のように草を食べることになり、からだは天の露にぬれて、ついにこう知るようになりました。いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになるのだと。(20節、21節)」すなわち、神の御前に高慢にふるまうと神の主権を知らされるようになることを見ていたのです。
ところが、その子であるベルシャツァル王も父と同じ失敗をしてその夜、殺されてしまうのです(30節)。私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。

ローマ1章20節、21節「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。」
ローマ1章25節「彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。」これが罪の中身です。

ベルシャツァル王もまた、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美してしまっています(ダニエル5章4節)。すなわち造り主を偽りと取り替えてしまっているのです。更に、神のために聖別された器を持ち出して汚してしまいました(ダニエル5章2節、3節)。そのために、彼は『メネ』、神があなたの治世を数えて終わらせたと告げられます。27節には、『テケル』秤で量られて、目方の足りないことがわかった、28節『パルシン』あなたの国は分割されると解き明かされています。

造り主の栄光を金や銀に替えてしまう、この問題をどうすれば解決できるのでしょうか。ベルシャツァル王は(待ったなし)で神に量られていました。彼の父も自分に栄光を帰した瞬間、神から裁かれました(ダニエル4章30節、31節参照)。
ローマ3章11節に、「悟る者はいない。神を求めるものはいない。」それにもかかわらず、神は律法を与えて私共を罪の中に閉じ込め、イエス・キリストを信じる信仰によって救われる道を開いてくださいました。

昔の物語に、父親の命令を実行することをしくじってカラスにされ遠くに行ってしまった男たちが、遠いガラスの国で両親の小さい指輪を見た場面で「妹が来てくれたんだといいんだけど。そうすれば、ぼくたちは救い出されるんだがな」というセリフが出てきます(グリム童話、『七羽のカラス』)。両親の小さい指輪、それはカラスたちが両親に愛されているしるしです。すなわちその指輪を見て、信仰(望み)をもつのです。

悟りのない、神を求めないそんな性質が既に心に満ちているかもしれません。しかし、カラスたちが指輪を見て望みを抱いたように、私共も御子イエス様を見て望みを持てるのです。すなわち主イエス様を見てわかることは、私共も神に愛されているということです。ヨハネ3章16節参照。神を賛美し、神に祈り求める生活ができるのです。

ローマ3章22節「イエス・キリストを信じることによって、信じる人に与えられる義です。そこに差別はありません。」
律法を守れたからではなく、主イエス様による贖いを信じるなら神に義と認められるのです。すなわち、神に受け入れられたのです。

カラスのままがいいよ。人間にはなりたくないよ。という方がおられるかもしれません。黒い羽根に油を塗って、自由がいいよ。自分よりも偉い存在はごめんだよ。という思いを持たれている方がひとりくらいおられるかもしれません。しかし聖書は証言しています。

イザヤ43章7節に「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。」とあります。
人と比較してどういうふうに見えたとしても、神はあなたをご自身の栄光の存在としておられます。カラスの羽のような金銀はもう必要ないのです。ゆえに、金銀ではなく、見、聞き、知ってくださる造り主である神に祈り、心を低くし賛美しましょう(23節)。

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