「招かれている」(マルコ2章13〜17節) ( 4.10/2011 )
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(17節)

イエスは徴税人(領主の税の取立人)レビの招きで一緒に食事をしました。ここでイエスは、徴税人(被差別職業集団)など被差別者の味方であることを鮮明にし、癒しの対象者は律法で罪人とされた人であり、律法遵守を誇る義人ではないと語り、不可触賎民である罪人との共食を禁じた律法に挑戦します。

「徴税人や罪人と一緒に食事をした」(16節)という理由で、イエスは律法学者たちから非難されました。この場合の「罪人」には、貧しさのために律法に定められた犠牲を捧げることができない人、余りの貧困ゆえに世間並みの付き合いが出来ない人も含まれます。貧しさのために遊女になるまで追いつめられた女性たちも「罪人」でありました。更に、多くの病人もまた、病が罪故に生じたと言う理不尽な律法で「罪人」に分類されました。当時の社会そのものが「罪人」を生み出していたのです。

医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。イエスは、わたしが来たのは、罪人を招くためであると言います。つまり、律法を守らない(守れない)ので罪人として一般社会から軽蔑疎外されていた人々を救おうと言っています。これはそうした阻害された人々への解放の言葉なのです。あなたを「罪人」と呼び、冷たい裁きの視線を投げつける世間の目から、あなたは解放される、もう罪に拉がれる必要はない、神はあなたのそばにいると言われるのです。イエスは、「低みから立つ貧しい人」として生まれ、「罪人」の一人になって、共に生きた神の子であるのです。

天災である巨大地震と、人災と言って良い原発事故の両面で私たちは苦しい状況下にあります。放射能拡散で、私たちは謂れの無い差別も受けようとしております。現在三春町では、町の職員さんが毎日風向計と放射線量測定器とで町民の皆様を守ろうと奮闘して下さってます。しかし町民の生活は、農作物やさまざまな観光業に関係する産業が大きな打撃を受け、日々の生活が困窮してきております。イエスの生きておられた時代には、原発も放射線被害もありませんでしたが、厳しい差別社会が存在しておりました。そうした謂れの無い差別に対して、イエスは解放の言葉と希望を与えてくれました。

この方の解放の言葉を、私たちは聞き、受け止め、立ち上がり、今日も明日もしっかりと生きようでは有りませんか。そしてこの方の解放の言葉を伝えようではありませんか。

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