「主イエス様を愛する人」(ヨハネ14章23節) ( 5.8/2022 )
「イエスは彼に答えられた。『だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。』」(23節)

本日は召天者合同記念です。私共の教会の天国会員も5名になりました。この5名の兄弟姉妹はすでに証人とされています。先輩たちの歩まれた足跡を見てきた者として、そして証人たちを知っている者として、更に確かな信仰生活を主におささげしましょう。
へブル12章1節から3節 「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。」

問題はこの地上で戦っている私たちの信仰生活です。どうすればイエス様を信じることができるのかです。
昔神学校の校長先生をされた先生の講義をお聞きしたとき、「お試し」という言葉を連発されていました。お試しでも信じてみるためには、まず知り、そして信じて、そして従ってみませんか。
へブル13章5節「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。」
申命記31章6節「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」

信仰生活とは私たちの頭脳ではないのです。ただ主イエス様なのです。このお方が私共の人生を造り変えてくださるのです。(三位一体じゃないと)と聞かれますと、確かにその通りです。
2コリント13章13節「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたとともにありますように。」
エペソ1章4節「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」
7節「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。」
13節、14節「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」

ただ、主イエス様に主権が与えられています。
マタイ11章27節「すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。」
ヨハネ3章35節から36節「父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。…御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」
ヨハネ13章3節「イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを知っておられた。」
マタイ28章18節「イエスは近づいて来て。彼らにこう言われた。『わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています。』」
マルコ2章10節「しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために」

ですから、主イエス様に対して悔い改める必要があります。悔い改めたらどうなるのでしょうか。
ヨハネ17章2節「あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。」
ヨハネの黙示録2章26節から28節「勝利を得る者、最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与える。彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。わたしも父から支配する権威を受けたが、それと同じである。…」

主イエス様は常に勝利する方ですから、イエス様についていく人が勝つのです。
ヨハネの黙示録17章14節「彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちです。」

主イエス様によって世が造られたことを信じる者には永遠のいのちが与えられます。
ヨハネ1章10節から12節「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分の所に来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を信じた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」

では、イエス様を当時の人々はどうやって信じたのでしょうか。それは、傷を確認して信じ信仰告白したのです。
ヨハネ20章27節から29節「『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』トマスはイエスに答えた。『私の主、私の神よ。』イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。』」
ピリポはもっと直接主イエス様に質問して答えを得ています。
ヨハネ14章8節から12節イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」

ですから、主イエス様に「助けてください。赦してください。いやしてください。救われる人を起こしてください。」と祈るのです。
ヨハネの黙示録11章15節「主は世々限りなく支配される。」
ヨハネ6章36節「わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」

ですから、マタイ4章17節イエス様は
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われました。
一生教会に通っていても悔い改めない人はイエス様を信じていない人です。聖書を読めば自分の罪は照らされ分かるようになっています。でも、悔い改めない人はイエス様を信じていないのです。父が子に渡された人はイエス様を信じるのです。
ヨハネ3章35節から36節「父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。…御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」


「救いは今です」という本の著者は、毎日ベットに横たわるように神を信じたと書いておられました。また、世界的に用いられている牧師先生は信じた後の生涯を通して神を信じたと言っておられました。私はどうにもならない者でしたが大魚に飲まれるようにして神様を信じました。
今日、私共の教会の先輩たちの信仰生活を思い返しつつ、先輩たちが神によって火の中で練られながら、苦しみの中で呟きながらも主の名を呼び、喜んで献身のささげ物を献げ、主を愛しておられたことを思い出すのです。聖霊の中で生きるように主は導いてくださったのです。
まず、今日お試しでも良いですから、「主イエス様、あなたを私の神として信じ、すべてお従い致します。」と祈りをおささげしてみませんか。人生がきっと変わります。一番の変化は、主イエス様に祈る人に変えられること、そして愛する人に変えられることです。

へブル11章16節「しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」

TOP