「御霊に導かれる人」(ローマ8章14節) ( 6.5/2022 )
「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」(14節)

本日はペンテコステ礼拝です。聖霊がこの地上においでくださったことをお祝いする礼拝です。聖霊は悔い改めてバプテスマを受ける者に与えられます。
使徒の働き2章38節、新約聖書2章38節「そこで、ペテロは彼らに言った。『それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めてバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」
悔い改めるとは、自分の生き方を捨てて神に従う決心をするということです。神は良心に既に正しい生き方を教えてくださっています。そして、神をあがめず感謝しないとどんな人生になるのかを定めておられます。(ローマ1章16節〜32節、新約聖書298頁)。

本日は御霊に導かれる人が幸いな人なのだということをお伝えしたいのですが、併せてこの人生に大切だと思われるメッセージを3つ、そしてそのことを知るために生活の中で実行しなければならないことを3つお伝えしたいと思います。

人生に大切なメッセージ

1.聖書は本当だということ

1列王18章1節、15節、旧約聖書634頁、エリヤは自分を殺そうとしているアハブ王の前に主の命により立ちます。「すると、エリヤは言った。『私が仕えている万軍の主は生きておられます。私は必ず、今日アハブの前に出ます。』」
しかし、今、主イエス様はもっと深く、勝者となることではなく、愛することを私たちに命じておられます。神は生きておられ、神が人となって地上に来てくださったお方がイエス・キリストであり、神はこの主イエス様に地上の権威の一切を与えておられます(マタイ28章18節、新約聖書64頁)。ですから、失礼のないように聖書のことばを無視しないでお応えしましょう。マタイ15章19節、新約聖書33頁、「悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。これらのものが人を汚します。」ルカ10章13節、14節「ああ、コラジン。ああ。ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。しかし、さばきのときには、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。」ゆえに、嘲笑われることにも勝たなければなりません。ルカ23章35節、新約聖書170頁「議員たちもあざ笑って言った。『あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。』」そして、正しくない者も赦し愛さなければなりません。マタイ5章44節「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」
望みはキリストにだけあるのだということを知る時に、人は生きる力を得ます。「この奥義とはあなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1章27節、新約聖書402頁)、ヨハネ5章39節「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。聖書はわたしについて証ししているものです。」聖書を信じて読むとき、人は生かされます。

2.神は愛である

ヨハネ3章16節、新約聖書180頁「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」神は聖なるお方ですから、反逆すると滅びます。しかし神は罪人を愛してくださってひとり子、イエス様によって救ってくださり、ヨハネ21章22節「あなたは、わたしに従いなさい。」と召してくださっています(マルコ6章34節、ルカ9章23節〜25節、マタイ16章24節〜27節参照)。そして死んだ後、よみがえらせてくださいます。ヨハネ6章39節「わたしを遣わされた方のみこころは、私に与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。」41節、44節も参照。

3.幸せとは、健康でも富を得ることでもなく、主に喜ばれるものとなり主との交わりにいれられることである。

ローマ8章14節「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」16節、28節も参照。ある姉妹は自分の父親の死を28節のみことばで受けとめ、信仰生活に入りました。主イエス様を信じる信仰の泉は悲しみの谷間を埋めることができるのです。
よく注意したいのは、マタイ7章21節、新約聖書12頁「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」

では、具体的に生活の中で何をすればよいのでしょうか。

礼拝厳守 創世記17章1節「さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。』」全き者、すなわち悔い改めて従う者になれと言われます。その理由はご自身が何でもできる全能の神だからです。

一日3回の祈り ダニエルのように。ダニエル6章22節、旧約聖書1520頁「私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、」主がどんな逆境からも救ってくださいます。

一日一章以上聖書を読むこと その人が世と子孫に残すものとは、みことばに従って生きた足跡です。私の幼馴染は、父親の死の間際の笑顔を見て主イエス様を信じました。
使徒の働き7章59節「主イエスよ、私の霊をお受けください。」この祈りが聖霊のみわざです。体がきついときどうやって私共は耐えることができるでしょうか。主が語り支えてくださるのです。毎日聖書を通して。

TOP