「新しい契約」(へブル8章13節) ( 6.13/2022 ) |
「神は、『新しい契約』と呼ぶことで、初めの契約を古いものとされました。年を経て古びたものは、すぐに消えて行くのです。」(13節) 古い契約とは、モーセを通して与えられた律法を指しています。そして新しい契約とは主イエス様を通して与えられたもので、動物の犠牲によらず、主イエス様の贖いを信じる信仰によって救いに入れられる契約です。そして、新しい契約による新しい時代は始まっています(10節)。新しい契約の特徴は「心」です。 へブル8章10節「これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。 ―主のことば―わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」 すなわち、新しい契約は心を変えるのです。 まず、聖書が語る主(創造主、救い主)の定めがあります。それは、それぞれ自分の罪について自分自身が責任を負っているという定めです。 申命記24章16節「父が子のために殺されてはならない。子が父のために殺されてはならない。人が殺されるのは自分の罪過のゆえでなければならない。」(その他エゼキエル18章2節〜4節) なぜ、罪(神に反抗する思い)に反抗できないのでしょうか。 エレミヤ17章1節(旧約聖書1320頁)「ユダの罪は、鉄の筆と金剛石の先端で記され、彼らの心の板と彼らの祭壇の角に刻まれている。」それが心に刻まれているからです。 しかし、主イエス様の贖いは私共を救い出すことができるのです。 それなのに、古い契約に戻ってしまい、苦しみ不平を言い、ユダヤ教に戻る者、中立の立場につく人たちが出てしまったのです。それで中心聖句の13節に「神は、『新しい契約』と呼ぶことで、初めの契約を古いものとされました。」と、エレミヤ書31章31節(旧約聖書1351頁)からのみことばを引用しているのです。 主イエス様にお従いするには、いったい何が必要なのでしょうか。 お金でしょうか。律法を守ってきたという自負心でしょうか。 マタイ19章27節(新約聖書40頁)「そのとき、ペテロはイエスに言った。『ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。』」と告白しています。また、 ピリピ2章13節、14節(新約聖書396頁)「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」 関西聖書神学校に在学しているとき、お金の心配や物に関する心配事はありませんでした。お金は持っていないのですから心配することもないのです。ただ(夕飯は何なのだろう)くらいしか心配事がなかったように思います。イエス様の弟子たちのように、イエス様にお任せして生きていけらたら幸せだと思います。 さて、へブル8章10節に「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。」とあります。罪が刻まれていた心に律法を書いていただけるのです。 それは聖霊によってなされます。 エゼキエル36章26節、27節(旧約聖書1480頁)「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。」 一番幸いなことは聖霊によって、悔い改めへと導かれ、神への反逆を心から取り除いていただくことです。「あなたがたのからだから石の心を取り除き」とある通りです。 いかがでしょうか。主が捨てるように導かれている罪があるならば、「主よ、この罪を取り除いてください。あなたの御手に委ね、お従い致します。」と祈ってみませんか。どうお応えしようとも、主のみことば(新しい契約)ですから、今日からのち、古い契約(石の心)はすぐに消えていきます。 詩篇62篇11節、12節 「神は一度告げられた。 二度私はそれを聞いた。 力は神のものであることを。 主よ 恵みもあなたのものです。 あなたは その行いに応じて人に報いられます。」 主の御前に頭を垂れましょう。 |
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