「復活」(1コリント15章50節〜58節) ( 6.29/2022 )
「兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」(50節)

この15章は福音について記されています。そして死者のよみがえりについて宣べ伝えられているのに、死者の復活はないという人々がいたので、それに反駁するために書かれたものです(12節)。

そして、肝となるのは、17節、「そして、もしキリストがよみがえらないとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお罪の中にいます。」

そして19節も重要です。「もし、私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。」

すなわち、信仰によって罪から救われ、この地上の生活における救いを受けるだけではなく、

52節「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」主イエス様を信じる者は御霊によって(44節)天に属する者(48節)に変えられます。そして神の国を相続するのです(50節)。

では、死んだ後に、どんなかたちのからだを頂くのでしょうか。

48節「土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。」主イエス様に似た者に変えられるのです。

ですから、

1.29節、生きているうちにきちんとバプテスマを受けましょう。それは、よみがえりのいのちを得ることなのです。また、

2.いのちをかけて、たとい、いのちを失ったとしても信仰を守りましょう(31節、32節)。

3.目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしましょう。神について無知な人たちがいます(34節)。悪い交際は良い習慣を損なうのです(33節)。あなたには良い習慣は身についていますか。

ではパウロは誰と交際していたのでしょうか。8節「そして最後に、月足らずに生まれた者のような私にも現れてくださいました。」、10節「神の恵みによって、私は今の私になりました。」

皆様は、生活の中で主と出会っておられますか。私はパウロや弟子たちやイザヤのように、主からおことばを頂きたいと祈っていましたがなかなかお声がかからず、礼拝の前奏の時間にヨハネ21章22節「あなたはわたしに従いなさい。」と御声をかけていただきました。誰と交わるかが重要なのです。ゆえにとにかく沢山聖書を読みましょう。毎日一章、できますならば、年間一回通読しましょう。更に時間のゆるされる方は、毎月通読しましょう。そして、私共の罪のために死なれた主イエス様と、そして、葬られた主イエス様と、そして三日目によみがえられた主イエス様と、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたイエス様と個人的に交わりましょう。すなわち、祈りましょう。

「イエス様を信じろ、隣人を赦せなんてひどいことを言わないで」というおことばを頂いたことがあります。よみがえられた主イエス様によらなければどんな信仰者にも無理なのです。私共にとって大切なことは、みことばを額面通り信じることです。罪から救ってくださるのは主イエス様の御業です(マルコ9章23節)。復活も主イエス様の御業です(1コリント15章57節)。ですから御霊に席を譲りましょう。
ガラテヤ5章16節「私は言います。『御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。』」

愚かな人とは、どんな人なのでしょうか。
1ヨハネ5章10節「神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています。神を信じない者は、神を偽り者としています。神が御子について証しされた証言を信じていないからです。」
ヨハネ3章36節「御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

賢い人とは、主イエス様に近づく人です。主は寄るべなきものを慈しんでくださいます。主に(助けて!)と祈ってください。たとい希望が無くなっていても主の愛はあなたの上にあります。
イザヤ42章3節「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない。」

TOP