「生きておられる神に仕える者」(へブル9章14節) ( 7.4/2022 )
「まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」(14節)
 
ユダヤ人たちは今でも律法と預言者に仕えています。もしかしたら、クリスチャンの中にも生きておられるキリストにではなく律法と預言者に仕えている方々がおられるかもしれません。

1.主イエス様に聞こう

ルカによる福音書16章にラザロという男性が出てきます。彼は天の御国でアブラハムの懐に抱かれました。一方、金持ちは死後炎の中で苦しみながらアブラハムに願います。「苦しい」と。しかし、アブラハムからは「そこから私たちのところに越えてくることはできないのだよ。」と告げられるのです。そこで、金持ちはラザロを私の家族のところへ送ってくださいと頼むのですが、「モーセと預言者に耳を傾けないなら、たとえ、だれかが死者の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」と告げられるのです。
主イエス様に近づいてきたパリサイ人たちも皆モーセと預言者を大切にしていました。ところが、彼らにとって主イエス様はあざ笑う対象にすぎませんでした(ルカ16章14節)。あなたの人生に生ける神はおられますか。

2.罪を負ってくださったキリスト

「しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。」(26節)キリストこそ真の大祭司です。そして私たちの罪を取り除いてくださるのです。

3.キリストの血が死んだわざを取り除く

パリサイ人たちは、自分たちは救われていると思っていました。ところが主イエス様のことを知らず律法に仕えていました。私たちもパリサイ人を笑うことはできません。ただ、キリストの死のゆえに、主の血が永遠の御霊によって携えられ、死んだわざにではなく生きておられるキリストに仕えることができるようにされるのです。生きておられる神とは主イエス様のことです。主イエス様により救いに与り彼に喜んでお仕えしましょう。律法にできないことを主イエス様の血がしてくださるのです。

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