「主に近づく道」(へブル10章20節) ( 7.10/2022 )
「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちために、この新しい生ける道を開いてくださいました。」(20節)

主に近づく道とは生ける道です。すなわち主に近づく時、人は生きる喜びを味わいます。これは主の約束です。では、人はどのようにして造り主である主のそばへと近づくのでしょうか。今日はその道を歩みましょう。

1.主を知る喜び(ヨハネ3章16節)

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。」私たちには私たちを造ってくださった造り主である神がおられます。そしてこのお方は、私たちが滅びないようにと望んでいてくださいます。そしてそのためにご自身の御子、イエス・キリストを与えてくださいました。これが主の愛です。

2.主のもとに帰る喜び(ルカ15章24節)

「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」救いとは、お金を得ることでも遊び暮らすことでもなく、主のもとに帰り、主のために労することです。救いとは主の御許(みもと)に帰ることです。ですから、一日3回以上教会で祈りの時を持ちましょう。

3.主の御前にうち伏す(へブル10章20節)

聖書を読む中で、恐れを感じる部分が本日の聖書箇所であるへブル10章20節です。主に近づくには御子イエス・キリストの肉体なる幕を通る必要があるのです。そして、これほどの恐れを感じる場面が人生にあるでしょうか。罪を持ったまま、抱えたままでこの垂れ幕を通ることができるでしょうか。罪人としての自覚を与えられる場面がこのほかにあるでしょうか。主は御子をささげてくださっています。これが主の聖です。
わたくしは、この御子の肉体という垂れ幕に打たれてうち伏せられました。そして、主に自分の罪を告白しました。そして、妻にも自分の一番打ち明けられない心の奥底の問題を打ち明けました(1ヨハネ1章7節、9節)。イエス様の肉体なる垂れ幕、これが主に近づく道です。今、御子の肉体という垂れ幕を覚え、うち伏して主に近づきましょう(詩篇32篇3節、4節参照)。もし、悔い改めたなら(家庭は壊れてしまうのでしょうか。)やがて夜が白々と明けるようにキリストの御業は現れます。「そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。」(コロサイ2章15節)主はすべての背きをご自身の戦利品とし、赦してくださいました。

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