「水源地とは」(ヨハネ7章37節〜39節) ( 7.31/2022 ) |
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。』イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。」 わたくし共が証ししているのは人格改造ではなく、御霊です。 1.主イエス様の復活(使徒の働き2章31節、32節、33節、36節、38節、40節、) キリスト教会の誕生は主イエス様の復活によります。すなわち主イエス様は造り主であるお方である神によって主とされ、キリストとされました。そして、この主イエス様を拒んで十字架につけた人々が悔い改め洗礼を受けて、そして御霊を受けてキリスト教会は誕生したのです。主イエス様が今も生きておられ、主(主権者)であられるというこの事実が主イエス様のご命令に意味を与えました。 2.あなたも行って、同じようにしなさい(ルカ10章37節) 先日、大分でも九州キリスト災害支援センターの会合が開かれました。責任者の先生が冒頭に主にささげられた祈りの中の御言葉がルカ10章37節でした。熊本の震災後5年間続けられた活動は主の御命令によって導かれていたことを知りました。そして今も聖霊(主イエス様の御霊)が力強く働いておられる証拠であることを教えていただきました。傷つき倒れている人がいるときに、そばに近寄って助けなさい。これがこの世界の王であられる主イエス様のご命令なのです。ところが、ルカ10章3節に「さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです。」と言われていますが、犠牲を払うには恐怖心に勝つ必要があり、困難に耐える力が必要です。 3.主イエス様を信じる者は心の中に泉を受ける(ヨハネ7章37節〜39節) キリスト教会が伝えようとしていることは、(のろいから救われるよ)なんてことではなく、あなたは愛の泉とされると言っているのです。もし、主イエス様を信じるなら、主イエス様があなたの心に愛の泉を置いてくださるというのです。これは主イエス様のお約束です。その泉は御霊といいます。 日本人に浸透している幸せとは、ご利益を受けることなのかもしれません。しかし、主であられる主イエス様が命じておられることは御霊を受けることなのです。すなわち、主が教えてくださる幸せは愛の泉を得ることです。すなわち、私たちが証しすべきなのは、私たちのわざではなく聖霊の御業なのです。(聖霊の御業とは、主イエス様があなたを愛しておられるということです。ヨハネ20章23節参照)水源地は私共ではなく御霊です。どんなに人里離れた家にも水源だけは必ず必要で準備されています。私たちも同様です。一日に三回、必ず主に御霊の満たしを祈り求めましょう。 |
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