「神の御主権」(へブル11章39節〜40節) ( 8.7/2022 )
「これらの人たちはみな、その信仰によって称賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした。神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので、私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはなかったのです。」(39節〜40節)

1.その厳しさ

アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセの両親、モーセ、イスラエルの人々、遊女ラハブなどなど、彼らは信仰によって称賛されましたが約束のものは受けませんでした。彼らは今も神の御計画の時を待っているのです。

2.試練に耐えさせるもの(27節)

信仰生活とは造り主である神、すなわち主との交わりです。そして主に喜ばれる生活をすることが信仰生活の喜びです。6節には、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」とあります。神は彼に報いてくださってイサクを与え、海辺の砂のように数多くの子孫が生まれましたが、なお彼らは寄留者であることを告白しました。すなわちアブラハムは故郷ではなく、天の故郷を求めました。そして神も16節によりますと、「彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。」試練に耐えさせた三つの要素があります。

都…10節 「堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。」

力…19節 「神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。」主の御力です。

交わり…27節 「目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです。」世の人々はお金のために生きているのではないでしょうか。モーセはそれを捨てたと証しされています。代わりに何を彼は受け取ったのでしょうか。苦難でした。けれどもただ彼は見えないお方との交わりを得たのです。主がわたくしたちをご覧になっています。即ち臨在される主です。

3.あなたもそのひとり(40節)

神は信仰によって歩んだ人々に約束のものを受け取ることをさせませんでした(39節)。拷問を受け、あざけられ、むちで打たれ、鎖につながれて牢に入れられ、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、困窮し、圧迫され、虐待され、荒野、山、洞穴、地の穴をさまよっている人々は、正確にはまだ彼らは待たされているのです。誰を待っているのでしょうか。それはあなたのことを待っているというのです。40節には「私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはありませんでした。」とあります。これは、私たちへの神からの招きではないでしょうか。神の御主権は今あなたの決断を求めています。ルカ15章の放蕩息子も父の元に帰りました。主もあなたに帰って良いのだよと言われているのです。

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