「終わりの時までに」(ダニエル11章29節〜35節) ( 8.28/2022 )
「賢明な者たちのうちには倒れる者もあるが、それは終わりの時までに、彼らが練られ、清められ、白くされるためである。それは、定めの時がまだ来ないからである。」(35節)

人は倒れることがあります。でも、まだ終わったわけではないのです。私共を造ってくださった造り主は、練られ、清められ、白くされるための時間を与えてくださっています。

1.11章の概観

10章18節のひとのように見える方がダニエルに語った内容が11章です。大まかには北の国と南の国の戦争の預言なのですが、北の国を中心にして語ってあります。概して北の国が優勢なのですが、30節にキティムの船が現れ行く手を阻まれて落胆し聖なる契約にいきり立って事を行い始めます。(事件です)彼は帰ってきてその聖なる契約を捨てた者たちに心を向けるようになるのです。彼の軍隊は砦である聖所をおかし、常供のささげものを取り払い、荒らす忌まわしいものを据えるのです。賢明な者たちも一時は剣にかかり、火に焼かれ、捕らわれの身となり、かすめ奪われて倒れます。そして、倒れた者たちへの目的が明らかにされます。それは彼らが終わりの時までに練られ、清められ、白くされることだと。しかし、この裁きのために用いられた王も36節と45節によりますと彼は栄えますが、ついには神の憤りで滅ぼし尽くされ、終わりを迎えます。

2.北の国の王をいきり立たせた聖なる契約とは

32節、33節に契約に対して三種類の人々、すなわち不誠実にふるまう者たちや自分の神を知る者たち、賢明な者たちが登場します。その中で北の王は契約に不誠実な者たちを巧言をもって堕落させます。またその前に31節には聖所に荒らす忌まわしいものを据えます。そして倒れる者の起こる理由がはっきりと語られています。それは、35節、彼らが練られ、清められ、白くされるためです。すなわち、この三種類の人々は同じ人、一人ひとりの人生を指しているのではないでしょうか。北の王がいきり立つ原因は歴史を導かれる造り主によって自分の行く手を阻まれ、造り主の聖なる目的のために利用されることに対する怒りなのではないでしょうか。聖なる契約とは、誘惑に遭い倒れても、練られ、清められ、白くされて立ち上がるという契約なのではないでしょうか。

3.定められている時がまだ来ない

問題は聖所に忌まわしいものが据えられているという31節の描写です。主の栄光の場所に、小さな世の栄光を据えないようにしましょう。定められている時が来るまでに。人生の目的を変えるチャンスが与えられています。

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