『満ち足りることを学ぶ』(ピリピ4章10節〜14節) ( 9.18/2022 ) |
「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」(11節) 序. 今朝は敬老の日を前にして、「老いる」ことについて聖書から学びたい。 1. キリストにつながる命 旧約の聖書人物の最期を見ると、「満ち足りて死んだ」という語が見られます。アブラハム、イサク、ダビデ、ヨブ…。寿命も財も家族も満たされた中で死んだということでしょう。今朝の書簡を書いた使徒パウロも老年でした。しかし、彼はこの時、獄中で処刑を待つ身。寿命も財も家族もない。しかし、彼は、「満ち足りることを学んだ」と言います。その書簡には、「喜び」という言葉が溢れています。その秘訣は?「私を強くしてくださる方によって」。キリストと命の関係がつながっている。また互いにキリストを愛することによって兄弟達との交わりで愛が完成に向かっているからです。 2.老いの備え 私たちも満ち足りた老いを迎えたい。アブラハム、イサク、ダビデ、ヨブ、パウロは決して楽な人生ではなかった。ですが、満ち足りる秘訣を苦難という訓練を通して学び得た人々でした。私たちの生来の心に「満ち足りるという天国の花」は咲きません。むさぼり・不平・つぶやきといういばらだらけ。この花は生まれ変わった新しい心の畑にのみ咲く花です。 水野源三さんは瞬きの詩人と言われます。目しか体を動かせません。しかし、イエス様に出会いその人生は賛美する人生に変えられ、瞬きという方法で神を賛美する多くの詩を残しました。「キリストのみ愛に触れたその時に キリストのみ愛に触れたその時に 私の心は変わりました」と詩っています。 流れのほとりに植えられた木は、見えない部分で地中深くに水路から水を得ています。「あなたの若い日」にそれが必要です。人は生きてきたように老います。高慢な人は高慢に老い、悲しむ人は悲しんで老います。若い時に神さまに従わない人は老いてから神に従うことは難しいのです。今日が一番若い日。 また、復活の希望に生きます。ゴールの確信を持った歩みができます。 3. 老いを受け入れる 伝道者の書12章に老いの現実が書かれています。これは「日の下」の現実。しかし、クリスチャンは「日の上」に神がおられることを知りつつ生きることができます。「失ったものを悲しむのではなく、与えられているものを最大限に生かす」。「障害は不自由であるかもしれないが、不幸ではない」。「多く持つ者は多く求められる」。一つずつ失っていく時、自分に与えられているもので、気負わず神さまに従っていくことができます。『私は喜んで歳を取りたい』という本があります。ありのままの自分が愛されていることを知ることが信仰です。 結. 敬虔の修行 神さまに愛されることを知るために、主との交わりを深めて老いに備えたい。共に主を愛しつつ。 (説教者;田代美雪牧師) |
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