「忍んで待て」(ダニエル12章12節) ( 9.25/2022 )
「幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。」(12節)

神は私たちを練られます。(10節)

1.あの書の存在(1節)

すなわち、いのちの書です。1節「国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の日が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。」(ヨハネ10章27節、ヨハネの黙示録20章15節)

2.多くの者が目を覚ます(2節)

先に召されたF姉、I姉も目を覚まします。2節「ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。」13節の「終わりの日まで歩み」ということばを平然と聞けるのはクリスチャンだけです。未信者の方に伝えましょう。

3.多くの者を義に導く者(3節、使徒の働き4章14節、3章16節〜19節)

主は今もみことばを通して働いておられます。

わたくしは小学4年生の時に自分の怒りっぽい性格をどうにかしたくて、マルコ9章23節を通して主イエス様を救い主として信じ洗礼に与りました。

中学1年生の時、聖なる神の御前に立つことを恐れていたわたくしが、悔い改めの祈りを主にささげた後、聖なる神が罪を赦してくださるお方であることを体験し神を賛美しました(1ヨハネ1章7節、9節)。

学生の時自分の頭の悪さと社会のズルさに嫌気がさしてゴロゴロしていた時、「わが心のくずおれるとき、私は地の果てからあなたに呼ばわります。」(詩篇61篇)を通して地の果てからでも呼べるお方がおられる。そのお方が主なのだと知って希望が与えられ、主は立ち上がらせてくださいました。

自分のために生きて行こうとしていた時、ヨハネ6章27節「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい」で悔い改め、主は主の働きに召してくださいました。

牧師になって肉だらけの汚れた牧師でしたが、ヨナが魚に飲み込まれたみことばを読んだとき、わたくしは(ヨナはほっとしただろうな)という思いが与えられ、その瞬間、聖霊はわたくしをとらえてくださいました。そして、サタンの縄目から解き放たれたのです。私たちは主の約束が私たちに実現した分だけ主イエス様をお証しできるのです。こんなわたくしでさえ救われたのですから、もし、皆様が主イエス様を信じるなら、主イエス様は必ず皆様を救ってくださいます(使徒の働き3章16節)。エゼキエル36章25節、主イエス様によって造られたきよめの水(民数記19章)が主によって注がれるとき、聖霊の御業が始まります。

4.悪しき者と白くして練られる者(10節)

そしてこの違いはまた同時に理解することがない者と理解する者です。7節に「聖なる民を打ち砕くことが終わるとき、これらすべてのことが成就する。」ダニエル書ではエピファネスのことでしょう。でもマタイ24章14節を参照し、そのために、2コリント5章14節「キリストの愛が私たちを捕えているからです。」も考えあわせますと、本当にキリストの愛に捕らえられた時、すなわち、自分が死んだことを理解したとき、終わりが来るのでしょう。忍んで待ちましょう。

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