「何を行うか」(ヤコブ2章21節) ( 10.2/2022 ) |
「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。(21節) 1.悪霊と同じではいけない(19節、マルコ1章24節) 悪霊でさえ主イエス様を知っていますが、なぜ悪霊なのか?それは悔い改めることなく、主の御許から立ち去ってしまうからです。悪霊にとらわれている方も同様です。しかし私共は更に救われるまで主イエス様を知ってもいません。マタイ25章32節、33節には、主イエス様は羊を自分の右に、やぎを左に置くと言われています。まずは主が唯一であることを知り(申命記6章4節)、そして主に従うことを学びましょう。 主に従うとは、偶像を愛することを止め、代わりに祈ることによって主に解決を求め、自分と同じようにあなたの隣人を愛することです。そうすれば、主がすべての主権者であることを知ることができます。もし主に祈ることができないのでしたら、御子イエスの血を信じて罪を悔い改めるなら主との交わりは回復します(1ヨハネ1章参照)。 2.よみがえらされたイサクと共に(21節、へブル11章19節) アブラハムの信仰は行いを伴っていました。すなわちそれは、約束の息子を献げるという行為につながりました。けれども、アブラハムの場合はよみがえらされた息子と共に歩む生涯を許されました。私共がささげたものとは何で、主がよみがえらせて与えてくださったものが何なのか考えてみましょう。たとえば海外にまで支援に出ていく方々は自分がよみがえらされた者となっているのではないでしょうか。 3.神によって救われた家族と共に(25節) ラハブ(ヨシュア記2章参照)はイスラエル人ではなく、私たちと同様の異邦人です。しかし、彼女は信仰を持ち、その行動によって信仰を表しました。彼女が義と認められたとき、すなわち、イスラエルの民に加えられた時、彼女は家族と共にその恵みに与りました。私共が主を信じてお従いする時(行う時)、私共の家族にも主のさばきを知る恵みが与えられ、信仰による救いに与かるでしょう。 わたくし共はどのようにして信仰をあらわすことができるでしょうか。 5節に、神はこの世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたとあります。ですから、今、主が心に思い浮かべさせてくれる方がおられるなら、その方が選ばれた方です。この教会に受け入れましょう。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』(マタイ22章39節)そして愛するイサクや愛する家族と共に主にお仕えしましょう。 |
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