「救いとは」(ホセア書1章7節) ( 10.23/2022 )
「しかし、わたしはユダの家をあわれみ、彼らの神、主として、彼らを救う。ただし、弓、剣、戦い、あるいは馬、騎兵によって救うのではない。」(7節)

ホセアはイスラエル(北王国)とすべての神の民のために立てられた預言者です。彼は神の預言を伝えるという使命を受け、自分の人生を通してそれに従いました。その預言(北イスラエル1章4節6節、異邦人10節11節)は紀元前722年北王国陥落の上に成就し、またローマ人への手紙9章24節から26節によりますと、異邦人である私共の救いという形で成就しています。それはイエス・キリストを通して実現しました(1ペテロ2章5節、10節)。
(北イスラエルでの事件に関しては、2列王記9章10章参照。)
一方、もう一つ、南ユダに対する預言もあります。それは7節です。ヒゼキヤ王が衣をさき、悔い改めたときに主の使いがアッシリアの軍勢18.5万人を破られた(イザヤ37章36節)時に成就します。

「しかし、わたしはユダの家をあわれみ、彼らの神、主として、彼らを救う。ただし、弓、剣、戦い、あるいは馬、騎兵によって救うのではない。」

クリスチャンが受ける救いとは何でしょうか。
それは、主に祈ることができるということです。
それは自分の願望を実現することではなく主の御心が成ることです。
因みに、偶像は英語ではイメージという単語が充てられているところがあります。
私たちは主に祈ることができることが救いであり、その為に主イエス様は十字架の上でいのちをささげてくださいました。サタンに勝ち、祈りの座に座るにはどうしても主イエス様の血潮の代価への信仰が必要です。

主の御心を聞くことができる祈りの座に着くために、主イエス様は既に血潮を流して赦しの道を開いてくださっています。
すべての民に神の民に戻れる道が既に備えられています。
ただ、主イエス様の血潮を信じ、造り主であるお方に立ち返りましょう。
主イエス様は今も生きておられ、すべてのものを統べ治めておられます。

救いとは軍事力ではありません。それはサタンとの決別であり、主との関係の回復です。

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