「嘆きなさい」(ヤコブ4章9節) ( 11.6/2022 )
「嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。」(9節)

8節に「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。」とあります。すなわちこのみことばからわかりますのは、私共の現状は神から遠く離れているということです。どこでそれが分かるのかと言いますと、17節「なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。」というところで分かりますと言っています。
ですから「嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。」というのです。

1.このご命令の根幹(理由) ヤコブがどうしても知ってもらいたいこととして記しているのが、5節から7節「「神は私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と、それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」ここに希望があります。

2.悪魔のわざとは 神の友であるべき人間が世の友となってしまっていること(4節)、欲望に起因する戦いや争い(1節)、自分の快楽のために使おうと悪い動機で求めること(3節)、神が与え主であることを忘れさせること(6節)、高ぶらせること(6節)そして神に従わないこと(7節)、主の御前でへりくだらないこと(10節)、悪口を言い隣人をさばくこと(11節、12節)、しばらく世にある霧であることを忘れさせること(14節)。

3.嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。(9節)現実を直視して、神すなわち私共の造り主である主の御前に嘆き、悲しみ、泣いてよいのです。主の御前でへりくだるなら、主が私たちを高く上げてくださいます。(10節)神は私共の悲しみを退けることをなさいません。なぜなら、5節に「神は私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」とあるからです。

主イエス様は私共の人生を悪魔の手から十字架の血潮の代価で贖い出してくださいました。今も主は私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに愛してくださっています。ですから、主の御前に自分自身の悲惨な実態を訴えましょう。そして泣きましょう。自分の力では無理ですが、主があなたを高く上げてくださいます(10節)。すなわち、悪魔のわざから救ってくださいます。

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