「天におられる父」(ルカ15章18節) ( 1.29/2023 )
「お父さん。わたしは天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。」(18節)

主を賛美します。現在新会堂を計画中ですが、建坪を減らした案の本体工事費用と付帯工事費用は先週で満たされました。主は神の栄光を見せてくださいました。外構工事は費用が与えられた時に着手致しましょう。
さて、本日は私共を造ってくださった神様について学びます。先々週は自然界を通して、歴史を通して、人間を通してという3点から学びましたが、本日は、神はどんなお考えを持っておられるのか主イエス様のおことばを通して学びます。(次回機会が与えられましたら行いを通しても学びます。)

1.天の父なる神

思い煩いが多いのは今から2000年以上前の主イエス様の時代も同じであったようです。マタイ5章43節から48節を読みますと敵を愛せよ、あなたがたの天の父は完全とあります。正しくない者にも雨を降らせるとあります。何かできるから、正しいから愛するというのではなく、何もできなくても天の父は愛してくださっているというのです。そして、あなたがたもそのように歩みなさいと命じておられる神様(主)なのです。そしたら、生きていけませんという方もおられると思います。しかし、主イエス様には枕するところもなかった(ルカ9章58節)、すなわち、自分の家もなかったというのです。でも、自分の家で暮らすという幸せを超える幸せを天の父なる神は与えてくださると証言しているのです。

2.人の心を見ておられる神

主イエス様が一番嫌われたのは、自称義人です。しかし、多くの場合私たちはこの部類の人に分類されます。自分だけを愛していて、神が命じられる神と隣人を愛することを忘れているのです。その結果、多くの悲しい出来事が起こっているにもかかわらずです。
マタイ23章23節から30節には、外側ではなく内側をきよめなさいと命じておられます。でも、どうして自分だけを愛する人生から抜け出せないのでしょうか。それは神を信じていないからではないでしょうか。神は(それは偽善だぞ)と見ておられるということをまず知り、「この心の中にある罪を取り除いてください。」と祈りましょう。

3.罪人を救う父

ルカの福音書の15章に放蕩息子の話が出て参ります。自分のために財産を使い果たして帰ってきた息子を父親はよろこんで迎えてくれたというお話です。何と愚かな息子だろうと皆考えるのですが、実は、主を礼拝しようとしないほとんどの日本人よりこの息子は優れているのです。それは、父から離れていく方向から、彼は向き直って父のもとに帰ったからです。すなわち、神を愛すること、隣人を愛することは確かに大切ですと、造り主の御命令に頭を垂れ悔い改めて神のあわれみにすがったからです。
それは受け入れられない。罪を犯す者が得をするのではないか。とおっしゃるでしょうか。
賀川豊彦という方がおっしゃったそうですが、主イエス様は「わたしは道である」とおっしゃったのですが、それは泥靴で踏まれて道になるという意味だそうです。泥靴で踏んでもいいから父のもとに帰るのだよと教えておられるのだというのです。

今日、一人も漏れず、全員父の御許に帰ろうではありませんか。ただ主イエス様を信じるなら罪を除かれて父なる神がわかるようになるのです。

(参考図書;小林和夫著「栄光の富1」)

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